も知らないが、これは鐙小屋《あぶみごや》の神主さんです。
 鐙小屋の神主さんは、たった今、炉辺の閑談を済まして、いち早く、ひとりこの風呂に飛び込んで来たものと見えます。
 お雪が二階で聞いた、どっと笑い崩るる音というのは、この陽気な神主さんが、何か一席の座談の終りに愛嬌《あいきょう》ある落ちをつけて、それが、すべての人のおとがいを解いたその結果でありましょう。
 先入りの客がいたと見て、神主さんから言葉をかけました、
「おやおや、あんたお一人で、そこにおいでかい。いつ来てもこのお湯はいいお湯じゃの、よくまあ透明に澄んでおりますわいの。これまあ、玉のこぼるるようじゃ、勿体《もったい》ないほどじゃ」
と言いながら兵馬と向い合って、ズブリと全身を湯の中に打込みました。
「白骨と申しますが全く骨まで白く洗えそうな湯ですな」
と兵馬が、おとなしく言うのを、
「その通り、その通り、ほんに綺麗《きれい》でいい加減で、それに今は混む時のようにさわがしくはないし、お湯に入る気持は格別だが、若衆《わかいしゅ》さま、修行は湯ではいけませんぞ、水に限りますぞ」
と、その人が言い出したものですから、この男を神主とも、行者とも知らない兵馬は、変なことを言う人だと思いました。
「修行は水に限ったものです、厳寒に、氷を割って浴びる水の温かさを知ったものでなければ、修行の味は話せませんよ」
 神主がいうのを、兵馬は軽く、
「そうですかなあ」
と受けたままです。ところが神主は面《かお》だけは洗わないで、ゴシゴシ身体《からだ》を湯の中でこすりながら、
「万事、水で修行をしなければいけません。しかし、それもまあ身体に準じたもので、無茶に荒行《あらぎょう》をやるのも感心しませんな。あんた方なんぞはまだ若いで、少しぐらい無理をしても修行が肝腎《かんじん》ですな。水行と断食のことですよ、水行と断食をしっかりやっとらんことにゃ、身体の本当の鍛えはできませんわい」
 兵馬はそれを聞いて、ますます変だと思いました。この男は人を見かけに頭から説法する人だ、その説教を独断的に頭から押しつける人だ、ははあ、この山中に来ている行者の類《たぐい》だな――と兵馬は、そう気がついたものですから反問しました、
「もう永く、こちらに御逗留《ごとうりゅう》ですか」
「長いといえば長うがすな、この乗鞍の麓《ふもと》に落ちついてから二十年に
前へ 次へ
全79ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング