、それほど図々しくはなれなかったのです。ほんののぞき見に、うわつらだけを知らん面《かお》をして見て置く分にはいいとしても、それを二三枚さかのぼって見たことすらが、いくぶん良心が咎《とが》めているのに、尻を据えて、図々しく盗み見をしてやろうなんぞとは、お雪にはできません。そのままにはして置いたが、なんとなく心残りがないではありません。
そこでお雪は、思い出したように兵馬の身の廻りを取りかたづけて、脱ぎっぱなしにしてあった衣類などを畳んでやりました。
それは気のせいばかりではありますまい、お雪のこのごろは、目立って分別の面《おも》だちになりました。誰も気軽にお雪ちゃんとはいえないほどに、老《ふ》けたというではないが、沈んだところがありありと見えます。それも、ただ沈んだのではなく、どうでもなるようにといったような、軽い放任気味が見えないということはない。
着物を畳み終って押入に入れてから、お雪はこの部屋を掃除して上げたがよいか、このままにして置いた方がいいかと、ちょっと考えさせられたようです。あまり要らぬ世話を焼き過ぎてもよくないし、そうかといって、このままに置けば、いつ誰が来て箒《ほうき》を当てるか知れたものではありません。ちょっと思い惑《まど》うて、お雪は障子の戸をあけて外を見ますと、思いがけない、すばらしいながめを見ることができました。
白骨の温泉場は谷底のようなところですけれども、見上ぐるところの峰巒《ほうらん》に、それぞれの風景を見られないということはありません。
今は雪です。雪が今日はめざましいほど降り積って、四周《まわり》の山を覆うているのを見ました。お雪がこんなに打たれるほど、見慣れたこの風景をめざましいと思ったのは、近頃、たれこめて、久しく戸の外を見なかったせいでしょう。
このすばらしい雪の景色を見ると、雪に圧下《おしくだ》される冬の恐怖よりも、雪に包まれた自然の美しさを歌いたい気になりました。
屋根の垂木《たるき》、廊の勾欄《こうらん》までが、雪とうつり合って面白い。浴室の鎧窓《よろいまど》から、湯煙の立ちのぼるのも面白い。湯滝の音が、とうとうと鳴るのも歌になると思いました。
そこでお雪が暫くの間、うっとりとしました。我を忘るる時は、歌を思う時でしょう。
さて、自分は歌わんとしてまだ歌をなさないが、清澄の茂太郎ならば、早速何か歌うだろ
前へ
次へ
全79ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング