ものにしておいて、これさえつきつければ一言もあるまい、その弱点を押えて、哀願する態度を見てやれば胸が透く――と、こんなふうに取ったのかも知れません。
 なるほど、そこには、やさしい女文字の水茎《みずくき》のあとが、長々と紙の上にたなびいている。こういう手紙を人に知らさず認めて、胸を躍らせながら、やりとりすることは憎い!
 しかし、御安心ください。この場合、この水茎のあとは、少しもピグミーの好奇、嫉妬、呪詛《じゅそ》を満たすべき何物でもありませんでした。
 それはお雪から、毎日、日課のようにして弁信にあてて書く手紙です。
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「弁信さん――
どうしたのでしょう、このごろになって、この温泉へ、お客様が不意に殖え出してきましたのよ。
昨日は、またお若い旅のさむらいが、夜中においでになったかと思うと、今日はまた、そのお連れであるらしい二人連れのさむらいがおいでになりました。
前に見えた、若いお方は、なんとなしお痛わしいような、初心《うぶ》なところがありましたけれど、あとから来た二人のお方は、なんだか気味の悪いお方です。
一人は、筋骨の逞《たくま》しい武芸者のようなお方、もう一人は、お医者さんの修業でもなさろうというような風采《ふうさい》の書生さんですが――いま考えてみると、二人とも、どうも、どこやらでお目にかかったようなお方です……」
[#ここで字下げ終わり]

         八

 それはそうと、一方において、その晩、宇津木兵馬がかなり忍びやかに、この三階まで入り込んだことは事実であります。
 そうして、ここはと思われるような部屋部屋を、逐一《ちくいち》にのぞき廻っていたことも事実であります。
 好んで探偵眼を働かせるわけではないが、本来、この人は入湯に来たのではなく、人をたずね求めに来たのであります。
 そのたずね求める人というのは、主流には兄の仇であり、傍流にはかりそめ[#「かりそめ」に傍点]の道連れの女の人であります。
 前の者は身命を賭《と》して、探さんとする目的ではあるが、後の者はどうでもいいのである。
 どうでもいいよりは、そんな者にかかわり合いをつけない方がいいのである。
 だがしかし、世間のこと、人生のことというものは、求めんとするものほど来《きた》らず、求めざらんとするものほど近より易《やす》いもので、そこで、中房の温泉でも、こう
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