地獄では大変に幅が利《き》きますのよ」
「…………」
どうも、そう言われてみると、軽蔑と、冷笑とを以てしながらも、それを見ないわけにはゆきません。そこでお浜は、
「芝の山内《さんない》の松原で、あなたから、こんな目に逢わされてしまいました、この乳の下のがずいぶん深うございますよ、地獄へ来て、かかりのお医者様も驚きました、こういう無残な突き方は無いそうでございます、ですから、ごらんなさい、今でもこの通りなおりません、ひとりでに血が流れて参ります」
この時、お浜の面《かお》の色が真白にさえきって、呼吸が少し、ハズんだように見えましたが、その着物を投げ出すとまた向き直って、一心に着物をたたみながら、
「そんなことは、どうでもようござんす、昔のことを繰り返してみたところで、おたがいにいい気持はしませんからね。それよりか、あなたにぜひ一つのお願いがあるんですよ、これだけは、たって聞きとどけて下さいまし」
改まって言い出したが、竜之助は答えませんでした。
「ねえ、あなた」
相も変らずお浜は、着物をたたんでは積み、積んではたたみながら、
「ねえ、あなた、兵馬が今、わたしのところに来ていますが、会って下さらない」
「兵馬――兵馬とは誰だ」
「ほんとに白々しい、宇津木文之丞の弟ではありませんか」
「ははあ」
「文之丞の弟は、わたしにとっても弟ですよ、弟が、あなたに会いたいといって、はるばるたずねて来ましたから、会ってやって下さいな」
「会おう」
「ではここへよびましょうか」
といってお浜は、着物をたたむ手をちょっと休めて、前の方を見込み、
「このなりじゃ、わたしには行けない」
と、本意《ほい》ない色を現わしました。
この時、天井の一角が、けたたましい音をして急に破れたと思うと、そこからピグミーの足が二本ブラ下がり、早くもお浜の前に飛び下りて小躍《こおど》りし、
「かたき[#「かたき」に傍点]討がはじまるんですか、それでは僕が行って参りましょう、僕が早速沙汰をして参りましょう、僕が……」
お浜は、さげすむように、ピグミーのはしゃぎ立つのを見おろして、
「お前ではいけない」
「どうしてです、どうして僕じゃいけないんです、呼んで参りましょう、かたき[#「かたき」に傍点]討がはじまるんなら、ぜひ僕にも見せて下さい、みんなも見たがるでしょう、ぜひ、ぜひ、僕をお使い下さいな」
「騒々
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