ざいますか」
この時はじめてこちらを向いた女は、お浜でありました。
「お前か」
竜之助は憮然《ぶぜん》として、うなだれてしまいました。
「あなたという人は、いつでも暢気《のんき》ですねえ」
とお浜は、相変らず着物をたたみながら、あの女特有の、すねるような、怨《うら》むような、口ぶりが生ける時のそのままです。
「暢気というわけでもないが、仕方がないからさ」
「でも、そうして尺八を吹いて、楽しんでいられるくらいですから、何よりですわ」
「うむ、そういえばそうかも知れない。ところで、お前はそこで何をしているのだ」
「はい、ごらんの通り着物をたたんでおりますが、いくらたたんでも、たたみきれません」
「そうか」
といって竜之助は、紗《しゃ》のような隔てのふすまから、そちらの座敷をじっと見ました。
紗のようだと思ったのが、いつのまにか御簾《みす》になっている。
その御簾越しにお浜を見ると、着物を畳んでいるというそのしぐさが、どうしても琴を弾じているようにしか見えない。
※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた姫君か何かが、相馬の古御所といったような中で、ひとり琴を弾じているような姿にしか見えないから、竜之助は、なんだか夢のうちに、自分の眼の前に錦絵を展開せられたように感じました。そうして、こちらを暢気だとあざけっている、そちらの方が風流至極だと、ひやかしてやりたいような荒涼さでありました。
着物をたたみながら、なお女がつづけて言いました。
「なんだか淋しいから、千鳥かなにかをお聞かせ下さいましな、なんならわたしが琴でお合わせしてもようございます」
「そんなものを吹いちゃいられない」
「では、春雨でも、茶音頭でも、なんでもようござんすから、賑やかな、やさしいさび[#「さび」に傍点]のあるのをお聞かせ下さいましな、追分なんぞも悪くはありませんね」
その時に、竜之助は、尺八は外曲を吹くべきものではない! と、言ってやりたくなりました。でも、そんなことを言っても甲斐がないと思い返していると、お浜が、
「ねえ、あなた」
「何だい」
「ごらんあそばせ、この着物を」
そこで竜之助が、遠く離れて御簾越しにお浜の手元をのぞき込んで見たが、畳む手つきは畳む手つきであって、畳まれる着物は畳まれる着物、特別に異状がありとも思われませんから、
「なんでも
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