方が看病にふさわしいから、好意で代って来たものに違いない。とにかく、感じのいい、気分の熟した娘だとは思いやっているが、兵馬は身の苦痛にまぎれて、その娘の面《かお》をよく見ておきませんでした。
 宇津木兵馬が、この白骨の温泉へ入り込んで来たのは、偶然に似て偶然とはいえません。
 中房《なかぶさ》から意外な女の人と道づれになって、その女を途中でさらわれてしまい、どうでもいいようなものだが、勃然《ぼつねん》として、思いあたって、義において見殺しはできないという心から、追いかけて一旦は松本へ出たが、それからハタと思案に余った念頭を暗示するものがあって、ついにこの白骨の温泉へ入り込んだのです。
 そうでなくても兵馬は、中房あたりに行くより先に、この温泉へ、一文字に突出してみなければならぬはずではあったのです――というのは、甲州の月見寺で清澄の茂太郎に尋ねた時に、たしかにハッコツという呼び名は聞かされているのです。
 ハッコツから一歩機転を働かせれば、当然シラホネになるのだから、さてはと、胸を打って、まっしぐらにこのところへ来て見るのが順序であるべきものを、あちらこちらに停滞漂浪していたのは、この機転を働かせるほどに白骨の温泉の名が、人の耳目に熟していなかったと見なければなりません。
 まして、今、ここに来た娘は、あれは月見寺のお雪ちゃんです。
 兵馬が、お雪ちゃんの世話になったのは、今に始まったことではない。また兵馬も、お雪ちゃんを強盗の危《あや》うきから救ってやったこともある浅からぬ因縁《いんねん》が、ここまでめぐり来たっているということを、おたがいにこの時は少しもさとりませんでした。
 兵馬は、病気の苦痛で人の親切を受けても、その人柄までを、充分に見る余裕はなかったとはいえ、お雪ちゃんが気がつきそうなものだが、それとても、今時こんなところで、旧知の人を見ようとは想像以外であったのか、或いは兵馬そのものが、旅疲れでやつれ果て、見違えられていたか、とにかく、充分に因縁のある二人が、ここで、奇遇に驚いて、あっ! とも、おや! とも言わなかったことが不思議でした。
 しかし、当然、約束しておいた仕事、火を持って来ることだの、お粥《かゆ》をこしらえることだの、矢継早《やつぎばや》に、この室を重ねて見舞わねばならぬはずになっていますから、今度見えた時こそ、二人の底が割れて、アッとしば
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