の、いさぎよくないのを恥辱として、兵馬は、北原賢次が再度にやって来るまでに、少なくとも床を離れていなければならないと感じました。
 しかし、身を動かしてみると、意外に自分の身体《からだ》のダルさ加減の、いつもと違って甚《はなは》だしいのに驚かされ、起きて衣裳を改めてはみたが、ほとんど自分の身体が持ち切れないほどのめまいを感じましたから、じっと心を締めて、形ばかりの床の間に向って、結跏《けっか》を組みはじめました。
 ここで兵馬は衣裳を改めて、床の間を前に端坐して、この、まだるい、悪寒《おかん》の、悪熱《おねつ》の身を、正身思実《しょうじんしじつ》の姿で征服しようと企《くわだ》てたのらしい。
 しかし、寝ていてあれほど悪かったものが、起きて襟《えり》を正して端坐してみたからとて、そう急に納まるべきはずもありません。そう急になおるほどのものとすれば、誰も好んで寝ているものはないでしょう。兵馬はあらゆる緩慢悪寒の不快をこらえて、正身の座を崩しませんでしたが、五体のわなわなとふるえるのを如何《いかん》ともすることができません。
 ここで熱い湯を一杯も飲んだなら、そうでなければ冷水の一つも振舞われたら、時にとってのよい点心《てんじん》になるかも知れない、と思ったけれど、あたりに鉄瓶《てつびん》もなければ、火鉢もない――ああ、やっぱり寝ていた方がいいなと思いました。

         五

 そこへ、
「ご免なさいませ」
と入って来たのは、北原ではなく、髪を洗い髪にして、後ろに結んだ妙齢の一人の女の子であります。
「はい」
「おや、もうお起きあそばしましたか、御病気だそうでございますが、およろしうございますか」
「ええ、どうやら、よくなりましょう」
 どうやら、よくなりましょう、というのは、かなり苦しい言いわけでしたが、兵馬は事実、苦しい言いわけをするほど苦しいらしい。
「お休みなすっておいであそばせ、北原さんが御看護においでなさるとおっしゃるのを、わたしが代って上りました」
「それはそれは、どうも少し疲れたものですからな」
「ここに、熱いお湯と妙振出《みょうふりだ》しがございますから、熱いのを一杯召上って、お休みなさいませ」
 渡りに舟である。病気そのものが渇望していたところのものを、棚から牡丹餅《ぼたもち》的に与えられたことの喜びが、兵馬の苦痛を和《やわ》らげずにはおきま
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