も言いませんでした。
 一言も言わないのみならず、先方でまだ気がつかないでいるのを幸い、自分も、あの人の帰るまで、姿を見せないでいるのが分別《ふんべつ》だと心を決めてしまったのは、全く聡明な思いやりでありました。
 無論、お雪は、二人の間の執拗《しつよう》なる葛藤《かっとう》を、少しも知っているのではない。
 ただ、こちらは隠れている人、隠れないまでも、人に会わせたくも、逢いたくもない人であるのに、先方は、今時分、こうして、この山奥まで、雪を冒《おか》して、入り込んで来る以上は、それは徒《いたず》らに紛《まぎ》れ込んだと思われない、道に迷うたともいわれない、何か目的があり、何か尋ね求めんとするものがあればこそ、この時分、このところへ、わざわざ足を踏み入れたものに相違ない。
 もしや、心安立《こころやすだ》てに面《かお》を合わせることが緒《いとぐち》となって、退引《のっぴき》ならぬこんがらかりに導いた日には、取っても返らないではないか。
 あの若い方は、素直な方であるし、自分にとっては、危うきを救われた恩人である。この場合、知って知らないふりをするのはつらいけれど、思い合わせてみると、その時分から、何かを尋ね尋ねて歩み疲れていた人のようではあった。
 それに気味の悪いあの二人連れの壮士。どちらにしても、会わせないがよい、会わないがよい、というお雪の心づかいは、聡明でした。
 しかるに、この聡明なお雪の心づくしを知るや知らずや、その宵に至ると、例の座敷で、竹調べがはじまり、ついで「鈴慕《れいぼ》」の響きが起りました。
 お雪は、それを聞くと、今晩はあらずもがなだと思いました。
 せめて、あの笛の音が、今いう新来の客人たち、つまり、さいぜんの若い旅のさむらいの人と、それから、どう考えても気味の悪い二人連れの壮士とにだけは、あの笛の音を気取《けど》らせたくないという心が無性《むしょう》にお雪の胸にのぼります。あの笛の音、そこから自分の心づくしがふいになるようではたまらぬ。
 お雪は、その尺八の音に気を揉《も》みましたけれど、尺八の音は、お雪の苦心に頓着なく、冷々亮々《れいれいりょうりょう》として響き渡ります。
 影は隠せば隠せるが、音というものは、隠して隠すわけにはゆかないらしい。

 その尺八の音を聞いた時に、あちらの室にいた仏頂寺弥助が、耳を蔽《おお》うて畳の上に突ッ伏
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