いずれかで逢いましょう」
「時に宇津木君、君は路用を持っているか、用意があればさしつかえないが、もし手元不如意だったら、遠慮なく言ってくれ給え」
これは不思議である。
兵馬の方へ無心の出そうな面が、かえって、先方から勝手元を志願して出る。
十四
宇津木兵馬は、二人を先へ立たせてしまう方がかえって安心だと思いました。
彼等が今日立ってしまったあと、自分は、ひとり悠々《ゆうゆう》と志す方へ旅立ったほうがよろしい。
ただ一つ心配なのは、今夜のうちにも例の大雪でもあって、道が塞《ふさ》がった日にはことだが、まだそうたいしたことはあるまい。
昔、佐々成政《さっさなりまさ》は雪中を、さらさら越えをして東海道へ出たという例もある。
ところが様子を見ていると、一刻も早く、一時も早くと、いらだつように見えた仏頂寺と、丸山が、容易に立つ気色《けしき》はなく、またも御輿《みこし》を据えて、鶏肉の残りかなにかで飲直しの体《てい》ですから、さあ、またぶり返した、あの亡者連ときた日には、ほとんど捉まえどころがない、この分では後から立つといった自分の方が、先発をするようなことになろうかも知れぬ。
どちらでもかまわぬ。自分としては、彼等に附きまとわれず、一人旅さえできれば結句それで満足だが、あとに残された彼等と、それから従来の冬籠《ふゆごも》りの連中との間の、意志と、感情との疎通《そつう》ぶりを考えてみると、どうも安んぜられないものがある。
従来の客に対して、どうも気に食わない、気に食わないと、仏頂寺らが口癖のように言っている。尺八の音までも目の敵《かたき》にしている様子だ。
この分で、双方が、相当の期間居残る間には、感情の行違いが嵩《こう》じて、風、楼に満つるといったような形勢にならねばよい、どうも、そうなるにきまっているらしい。
仏頂寺、丸山は名うての者、逗留《とうりゅう》の冬籠りの連中も、それよりは異なった意味において、一癖も、二癖もありそうだから、無事では済むまい。兵馬は当然の順序として、その事を気にしないわけにはゆきません。
しかし、それも、自分というものがおれば、いくらかその間に緩和剤ともなり得るが、自分が去ってしまえば、安全弁を抜きっぱなしで行くようなものだから、心もとない限りだ。
どちらに廻っても厄介者だ――と兵馬は、苦《にが》りきっ
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