ろうものなら大変だぜ。神主さんの言い草じゃないが、陽気に、ぽんぽんと話しに来るようにならなけりゃ、第一、われわれの気まで腐るさ」
「そう言ってみましょう」
 久助が、叱られでもしたように恐れ入る風情《ふぜい》を、兵馬が見て、
「あのお嬢さんは、あなたのお連れなのですか」
「ええ、左様でございます、私の近所の人でございます」
 兵馬がこれを認めてしまっていると合点《がてん》したものですから、ぜひなく久助が答えると、兵馬はつづいて、
「あなた方のほうの組は、お二人ですか」
「ええ、いいえ、まだほかに連れがございますんですが、病気でございますから」
「ははあ、では、あなた方は、ほんとうの湯治に来ていらっしゃるのですかね。あの方は、あなたのお娘さんではないのですか」
「私の娘ではございません、いわば主人といった筋でございます」
「そうですか、お部屋はどちらですか」
「あの三階の東に向いた、角でございます」
 そこへ珍しくも、一方の廊下の入口から、お雪が姿を見せて、
「久助さん、お火種を少し下さいな」
「あ、お雪さんですか」
 一同の者が、お雪の声を、不意に珍客でもおとずれたもののように聞いて、言い合わせたように、こちらを見ましたけれど、お雪の姿は柱に隠れて、縦にその半身だけしか見えません。
 しかも、その半身といえども、薄暗がりのところに白く漂うているものですから、はっきりとは認めることができないのです。
「どうしたのですか、今日は、どのお部屋も、どのお部屋も、みんなお火が消えてしまいます。わたくしどもの座敷も、それから、昨日おいでになった二人のおさむらいさんも、火が冷たい、火が冷たい、とおっしゃりながら、お酒を召上っていらっしゃるし、それから、若いおさむらいのお方のお部屋も、とんと立消えがしているようでございますから、ついでおきましょう」
といって、お雪は、ひのし型の十能《じゅうのう》を差出しました。
「そうですか、では、あとから私が持って行って上げましょう。お雪さん、まあ、こちらへ入って皆さんとお話しなさいまし」
 久助は招いたけれども、お雪が心安く入って参りませんものですから、自分が立って来て、お雪の手から十能を受取って、炉辺へ戻り、火の塊を物色したが、どうも思わしく盛んな塊が無いと見えて、新たに木炭を炉の中へ加え、
「これが、かんかんとおこってからに致しましょう、焚
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