針を持つ女を見てはいけない。だが、安心してよいことには、お雪ちゃんがこうして針を持っているところを、誰ひとり見ている者はないし、お雪ちゃんとても、誰に見せようとの心中立てでもなく、無心に針を運んでいるうちに、無心に歌が出て来る。心無くして興に乗る歌だから、鼻唄《はなうた》といったようなものでしょう。
それはお雪ちゃんが、名取《なとり》に近いところまでやったという長唄《ながうた》でもない。好きで覚えた新内《しんない》の一節でもない。幼い時分から多少の感化を受けて来た、そうして日本のあらゆる声楽の基礎ともいうべき声明《しょうみょう》のリズムに、浄瑠璃《じょうるり》の訛《なま》りがかかったような調子で、無心に歌われる歌詞を聞いていると、万葉集でした。
このごろ中、心にかけて習っている万葉集の中の歌が、そこはかとなく、例の声明と、浄瑠璃のリズムで、お雪ちゃんの鼻唄となって、いわば運針の伴奏をなして現われて来るらしい。
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巌《いはほ》すら
行きとほるべき
ますらをも
恋てふことは
後《のち》悔いにけり
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これだけはリズムの節調ではなく、散文の口
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