絹糸でもって、胡蝶《こちょう》の形を縫い出して楽しんでいるまでのことです。手すさみに絵をかいて楽しむような気持で、針を運ばせながら、浮き上って来る物の形に、自分だけの興味を催して、自己満足をしているまでのこと――風呂敷には狭いし、帛紗《ふくさ》には大きい。縫い上げて、自家用にしようか、贈り物にしようかなどの心配はあと廻しにして。
 物を縫うている女の形を見れば、それが若くとも処女というものはない。否《いな》、娘というものはない。Wife《ワイフ》 という文字には、物を縫う女という意味があるそうですが、いかなる若い娘さんをでも、そこへ連れて来て縫物をさせてごらんなさい。それはもう、娘ではない、妻である。否、妻であるほかの形に見ようとしても、見えないものであります。
 自然、悍婦《かんぷ》も、驕婦《きょうふ》も、物を縫うている瞬間だけは、良妻であり、賢婦であることのほかには見えない。
 自分の娘を、いつまでも子供にしておきたいならば、縫物をさせてはならない。
 老嬢の自覚を心ねたく思う女は、決して針さしに手を触れないがよろしい。
 独身のさびしさを心に悩む男は、淫婦《いんぷ》を見ようとも、
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