送り届けるだけで、拙者は御免|蒙《こうむ》る、拙者には、拙者としての仕事があるのですから」
「どの面《つら》さげて、わたしが浅間へ帰れましょう、あれは嘘です、嘘よりほかには、申上げられようがありませんでしたもの」
「嘘はそちらの勝手、拙者は、拙者だけの勤めを果せばいいのだ」
「ようござんす」
 そこで、ふっと、今まですがっていた兵馬の袖を、女がはなしました。
 兵馬は多少のハズミを食ったが、やはり最初の調子の、悠々閑々ぶりを改めず、あとを振返ることもなくして、フラフラと歩んで行くのであります。
 女は、どうしたものか、恨めしそうに兵馬の後ろ姿を見てはいるが、以前のように追いすがろうともしない。また、静かにそのあとを慕《した》って来ようとするの様子も見えない。じっとその地点に立ち尽しているのです。
 そうなってみると、兵馬も、多少の不安を感じないわけにはゆきません。だが、自分の強《し》いて、つれなく言い放した言葉の手前からいっても、いまさら未練がましく後ろを振返って見るというわけにもゆきません。
 いや、そう言っているうちに、また追いかけて来るだろう、追いかけて来ないまでも、何とか呼びか
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