けて呼んでいたそうですから、多分その川越三喜の事蹟を、浦島太郎に附会してしまったものかと思います」
「川越三喜――なるほど、あれはわれわれの同職で、しかも武州川越の人なんだ。わしはこう見えても江戸ッ児だが、三喜も、江戸ッ児みたような、武蔵ッ児の、川越ッ児なんだ。川越はお前、今でこそ薯《いも》の産地だが、黄八幡の北条の旗風には、関東も靡《なび》いたものだし、天海僧正様の屋敷だし、徳川の三代[#「三代」は底本では「三大」]将軍もあそこで生れたというところだ。近くはお前、喜多川歌麿という艶っぽいこと天下無類の浮世絵師も出ているし、狩野派《かのうは》で橋本雅邦という名人の卵や、浅田信興という関東武士の黒焼のようなものも出かかっている、なかでも川越三喜ときちゃあ、わが党の方でも大したもので、立派に藪《やぶ》の域を脱している。しかし、その三喜が、こんなところへ引込んで、浦島気取りで釣をしていたということも、はじめて承りましたよ」
「左様でございますな、古書を調べてみますというと、三喜は、寛正の六年に武州川越に生れたとあります。医師となって長享元年に明国《みんこく》に入り、留まること十二年、明応七年
前へ
次へ
全373ページ中329ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング