に三十四歳で帰朝して、明の医術を伝えて、その名声天下にあまねく、総、毛、武州の地を往来し、天文六年二月十九日、七十余歳にして病歿と記してあるようでしたが、そうなると百二十説も少々怪しくなりますが、何か因縁はあったものと思われます」
「左様《そう》さね、お説の通り、三喜は寛正の六年の四月八日に生れたんだ、お釈迦様《しゃかさま》の日だからよく覚えていますよ。何しろ名医は名医さ、古河公方《こがくぼう》を中心にして、関東の平野を縄張りにしていたのだが、長谷村の一向寺というのにお像《すがた》があって、神様扱いを受けている。日本に名医ありといえども、お像を神に祀《まつ》られているのは、東大寺の鑑真大和上《がんじんだいわじょう》と、川越三喜だけだ、同じ藪《やぶ》でもこちとらとは、格が違わあ。しかし、こちとらだってなにも卑下するがものはねえのさ、後世になれば、十八文の貧乏神に祭ってくれるものがねえとも限らねえ」
道庵が、つまらないところで痩《や》せ我慢をいうと、僧形《そうぎょう》の同職も笑って、
「ハハハハ、左様でございますとも、後世になれば、先生と、甲斐の徳本大人《とくほんうし》とを合わせて、平民
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