らいだから、頭に残っている由がありません。
 ただ、ここで思い起すのは、父が尺八の師であった青梅|鈴法寺《れいほうじ》の高橋空山が、ふと門附《かどづけ》に来て吹いた「竹調べ」が、ついにわが父をして短笛《たんてき》というものに、浮身をやつすほどのあこがれを持たしめてしまったことです。
 ここにヅグリという手があって、これはなかなかやかましい。これがうまく出来なければ虚無僧《こむそう》ではない……といったのはそれ。自分は虚無僧になるつもりはない、父も虚無僧にするつもりで教え込んだのではないが、この手が妙味で、ここが難所という時は、意地でもそれをこな[#「こな」に傍点]そうと勉めた覚えはある。
「錦風波《きんぷうは》」の吹き方は、日本海の荒海のように豪壮で、淡泊で、しかもその中に、切々たる哀情が豊かに籠《こも》っている。そうしてどこにか、落城の折の、法螺《ほら》の音を聞くような、悲痛の思いが人の腸《はらわた》を断つ……山形の臥竜軒派では、これをこう吹いて……
 それにつけても思い起す、父が尺八というものに対する、あこがれと、理解の程度の、尋常一様でなかったことを。
 高橋空山師と計《はか》っ
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