治山田の米友は、一時は重荷を卸したようにホッと息をつきましたけれども、再考すれば、不幸はどこにあっても不幸です。誰の上に落ちて来ても、不幸は不幸に相違ない。溺死という不幸が、自分の身に最も親近の道庵先生の上に落ちていなかったということは、まず安心には相違ないが、同じような不幸が、他の何人《なんぴと》かに落ちていたとすれば、それを憂うる心が二つであってはならぬ。道庵先生でなくってよかったという安心は、他の人だからかまわないという理窟にはならない。
 溺れた人の不幸は、自分に親近であると否《いな》とに拘らず不幸である。親近なるが故の同情は、他人なるが故に同情の価なしという理窟にはならない。
 そこで米友は第二段として、当然、わが道庵先生の身代りに立たせられたような不幸の人を、見舞うの心を抱《いだ》き起させられました。
「水を飲んだかね、怪我はしなかったかい」
といって、武士階級の人の間にわけ入りました。
 しかし、狼狽、混沌の限りを極めている人々は、この奇怪なグロテスクの見舞に、さのみ注意を払うものがありません。従って、その見舞の言葉に、明確な謝意を表するものもないのです。
 そこを米友は
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