のところへ行って見ると、宇治山田の米友は、そこで大いに騒いでいる群集の中に、多くの武士階級の人を認め、事件の中心は、この武士階級の人であるなと思いました。
だが、溺《おぼ》れて、そうして救われたか、救われないか、でいるその人は、たしかにわが道庵先生にきまっている。
米友は最初から、そう断定してかかっているのですから、
「御免なさい、その川流れというのに一目逢わせておくんなさい、気がせいてたまらねえ」
人を掻《か》きわけるようにして寄って見ると、そこには道庵らしい人は見えません。
被害者として、それは武士階級の人の間に、非常な狼狽《ろうばい》と、心痛とを以て、取囲まれているその人は、やはり武士階級の人であることを、米友は人を掻きわけて近づいた瞬間にさとって、それでは道庵先生ではなかったのか! とひとまず安心をしました。
これは溺死人あり、すなわち酔っぱらいの道庵先生――と独断してかかった米友の頭の問題ですから、ここで当てが違って、まず胸を休めたのは、まあ、よかった! という感じでありました。
かりそめにも自分の主と頼んで来た道庵先生が、被害者の当人でないという見極めのついた宇
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