やらが変死してから……留守番や、山の案内がこわがっている、この上、お雪ちゃんでも病みつこうものなら、鐙小屋《あぶみごや》の神主でも祓《はら》いきれまいよ」
 二人は、いい気持で、こんな噂《うわさ》をしているが、窓の上高く、三階の勾欄《てすり》のあたりを見上げた時、何かこの晴れ渡った白骨温泉場の空気の底に、抜け穴があって、張りきったものが、そこから無限の下へもれて行くような気持がしないでもない。
 かかと[#「かかと」に傍点]をこすり終った北原賢次も、何かちょっとそんな気分にさわったことがあると見え、
「時に、根も葉もあるではないが……あのお雪ちゃんが、妊娠しているという噂を聞かないかい」
「え……妊娠、あの娘が」
 小西新蔵が、ちょっと枕を立て直す……そこで二人の会話が、また五分間ばかり途絶《とだ》える。
 やがて、声高に、笑談まじりに、二人は何か話しはじめたが、ばったりと立消えになってしまうと、暫くあって、森閑たる浴室の外へ聞えるのは、小西新蔵がやや得意になって、
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聞くならく
雲南《うんなん》に瀘水《ろすい》あり
椒花《せうか》落つる時、瘴煙《しやうえん》起る
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