が、主膳が足を留めないわけにはゆきません。
しかし、二人は湯殿の中で、内密話《ないしょばなし》をしているわけではなく、平常、座敷でする通りの熟しきった会話を取交しているに過ぎないから、ところが湯殿だとはいえ、邪推をする余地は少しもありません。
だが、平常の話を、平常の通りにするならば、なにも湯殿を選ぶ必要はないではないか。この屋敷には有り過ぎるほど室が幾間もあるので、七兵衛の座敷として、ほとんど開《あ》かずの間《ま》のようになっているところもあるのです。なんだって、今朝に限って、湯殿の中で誰|憚《はばか》らず話をしているのでしょう。
「ねえ、七兵衛さん、あの子を、もう一度つれて来て下さい、お前が連れて来る分には、あの子だっていやとは言うまい」
これはお絹の声。
「そうでございますねえ、来いといえば来るかも知れませんが、いつきますまいよ」
これは七兵衛の返事。
「あれが、本当のわたしの子であってくれればねえ」
「それは、あなたが、あれを本当の子供として可愛がって下さらないからですよ」
「それは、どういうわけだろう、あの子のためには、わたしは本当に親身になって、仕込むだけの事は仕込
前へ
次へ
全373ページ中213ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング