「池田先生のお弟子さんには、芸人がいらっしゃるわ――ずいぶん御熱心ね」
といって、自分も針を運びながら、その三味線の音色には聞き惚《ほ》れているらしい。
 机竜之助は、もう横にならないで、やぐらの上に頬杖をついたまま、キチンと坐って、沈黙しているのは御同然に、三味線の音色そのものに、暫しわれを忘るるの余裕を与えられているのかも知れません。
 ややあって、お雪ちゃんが、針の手を休めないで、
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おととしの十月
中《なか》の亥《い》の子《こ》に
炬燵あけた祝いとて
ここで枕並べてこのかた
女房のふところには
鬼がすむか蛇《じゃ》がすむか
それほど心残りなら
泣かしゃんせ
泣かしゃんせ
その涙が
蜆川《しじみがわ》へ流れたら
小春が汲んで
飲みゃろうぞ
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と三味線に合わせて口ずさみましたから、たれよりも最も多く机竜之助が驚きました。
 何だ――お前それを知っているのか、いつそんなことを覚えたのだね、小娘は油断がならない、と心底から驚いたかも知れません。
 それには頓着なく、お雪ちゃんは、ただもういい心持になっているようです。
 そうこうしている時に
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