ことができない。
お化粧が済んだら、今日はお花を活《い》け換えようと思っていたが、あいにくまだ花屋が来ないものだから、その間の所在に、ちょっと三味線にさわってみたのです。
それとても、花にはかなりの自信はあるが、三味線は、人に聞かせるほどの堪能《たんのう》のないことを自覚しているから、ホンの手すさびに、さわってみて、新内《しんない》を一くさり口ずさんではみたが、こんな時に、主膳に立聞きをされて、冷かされでもしてはばかばかしいという思い入れで、手っ取り早く切り上げてしまい、さて今日はどうしようか、どこへ行こうか、と火鉢の上へ手をかざしながら、退屈まぎれの方法を考えはじめました。
三芝居もどんなものだか、佐《さ》の松《まつ》の若衆人形の落ちこぼれが、奥山《おくやま》あたりに出没しているとのことだが、それも気が進まない。活人形《いきにんぎょう》も見てしまった。百日芝居でもあるまいが、そうかといって、西洋鋸《せいようのこ》で板をひきわる見世物を見に行ったって始まらない。出歩くことは嫌じゃないが、結局、今日は、どこへも出てみようという気がしないで、でも、こうしているのもばかばかしいから、若
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