旧家が何です、甲斐の国に並ぶもののない家柄が何です、何十代というもの、積み貯えられた金銀財宝が何です。みんなそれは浅はかな人の慾をそそり、血で血を洗わせる悪魔|外道《げどう》のまやかし[#「まやかし」に傍点]ではありませんか。そんなものがあるために、親が子にそむきます、兄弟がたがいに相愛することができません。人間のこの、普遍な愛情をさまたげるものは系図です、家柄です、それと財産です、女にとっては容貌です。まあごらんなさい、火という大明王が、その小さな愛着と、未練と、貪欲《どんよく》とを、木葉のように、広大なるつぼ[#「るつぼ」に傍点]の中に投げ入れて、微塵の情け容赦もなく、滅除し、済度して行く、あの盛んな光景を――」
「お嬢様、それは間違っております、出発点が間違っていますから、それで結論がまた間違ってしまいます、間違ったなりに徹底して、さながら一面の真理でもあるかのように聞えるのが、外道《げどう》の言葉だと私は思います。愛というものは――慈悲と申しても同じことでございますが――火のように烈しく人を焼き、水のように深く人を溺らせるものではございません。慈悲と申しまするものは、春の日のように、また春の雨のように、平和に人を恵みうるおすものでございます。時としては、秋の霜のように、冬の暁の雪のように、人の骨身を刺すこともございましょうけれど、それは人の精神を引締めるもので、人の心を亡ぼすためではありません。愛というものは、そんなに痛快なものではないのでございます。どちらかと申せば、緩慢な、歯痒《はがゆ》いところに慈悲が潜《ひそ》んでいることもございます。本当の愛というものは、急激な同化を好まずして、秩序ある忍耐を要求するものではございますまいか。一粒のお米を、自分のものとして取入れるまでに致しましても、三百六十余日の歳月を待たねばなりませぬ、そうしてその三百六十余日の歳月とても、ただ徒《いたず》らに待っているわけではございません、耕し、耘《くさぎ》り、肥料をやり、刈り取り、臼《うす》に入れ、有らん限りの人の力を用いた上に、なお人間の力ではどうすることもできない、雨、風、あらし、ひでり、その他の自然の力に信頼して、そのお助けを得ての上で、そうしてようやく一粒の米が私共の食膳にのぼるのでございます。お嬢様、あなたのお家は大家《たいけ》だそうでございますから、定めて宏大な御普請と存じますが、いかほど大きなお家でも、一夜のうちに灰となることは不思議でございません、けれども、それを一夜のうちに組立てることはできないのでございます。物を亡ぼすのが愛の仕事でございません、物をはぐくみ育てるのが愛の仕事でございます。つまり、あなた御自身が、はぐくみ育てられた恩愛というものを知ることが浅いので、物を育てるの妙味がおわかりにならないのですね、はぐくみ育てるの苦労というものを御存じないから、それで同情というものが生れて参りません――あなたは何不自由なくお育ちになりました、あなたはその豊富な生活の資料というものが、当然の権利として与えられたもののようにお考えになって、我儘《わがまま》というものは、誰にも許される人間の自由だとお考えになって、それで今日まで過ごしておいでになりました、多くの人が悩む生活の窮乏というものに、性来の御経験が無いのはあなたの幸福ではありませんでした。しかのみならず、あなたはお身体《からだ》もお丈夫で、今日まで、病気らしい病気におかかりになったことがないとのお話も承っておりましたが、それも、あなたの幸福ではございません、病気の経験の無い者を、友達にするなと古《いにし》えの人が申しました。あなたの恵まれたる生活がかえって、あなたの不幸でございました。それゆえに、何か不平不満の起りました時には、あなたは自分の仇敵《きゅうてき》のために、自分の持場を荒されたように、身も、世も、あられず、憤怒の火で心の徳を焼いておしまいになります、不平、不満の起りました時、ついぞあなたは、今まで自分の受けておいでになった有り余る満足と、我儘とに、思いおよぼしたことはございませんようです。天性、花のように生み成された御容貌が、無残にそこなわれてしまった怨《うら》みを、骨髄に徹するほど無念にくり返し、くり返し、私はあなたのお口から聞かされました。しかし、私に言わせますと、あなたの御容貌を微塵《みじん》に打砕いたそのものは、あなたの継《まま》のお母さんではありません、また、そのお母さんに味方をするという一類の人たちではありません、あなたの心の増長が、その面《かお》を焼きました」
おしゃべり坊主は土に坐って、一気にこれだけをしゃべりました。
三十二
「何とでもおっしゃい」
お銀様も、土の上に腰をおろして、相変らず冷然として、おしゃべり坊主
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