、ウンと稼《かせ》いでな、給金を貯めてな、それで新家《しんや》の一つも建てて納まることを考えなくっちゃいけねえ。そうなると、相応のおかみさんが欲しくなるだろうが、そこだてなあ……女房というやつは、持つがいいか、持たねえのがいいか、ことさらお前の身の上について考えてみると、何とも言えねえ――持つなら、いい女房を持たしてやりてえがなあ」
 どういう気まぐれか、このかりそめの場で、七兵衛は、与八のために、将来の女房の心配まではじめたが、やがてかたわらの絵馬を手にとりながら、
「いや、よけいなお節介《せっかい》で長話をしてしまった、人間はあとのことを振返らねえで、先のことを考えなくちゃいけねえ」
と言いながら、例の絵馬《えま》をパリパリと引裂いて、炉の中に投げ込んでしまいますと、絵具のせいか、火が血のような色をして燃え立ちました。
 七兵衛は立ち上りながら、絵馬の燃え上る火の色を見ていいました。
「若い衆さん、お前、人間の首の梟物《さらしもの》を見たことがありなさるかい。見ない方がいいねえ、わけて出世前の者は、そんなところは見ない方がいいがねえ」
と言いました。
「まだ、そんなところを見たことはありましねえ、見ようとも思わないねえ」
と与八が答えました。
「そうだとも、見ようとも思わないのが本当だ。お上《かみ》だって、好んで見せたいから梟《さら》すわけじゃあるめえ。まして首を斬られて、梟される御当人と来ちゃ、これも酔興とはいえねえが、それでもあんなところへ上りたがる首が、いつになっても絶えねえのは浅ましいことだね。若い衆さん、お前だって長い一生には、いつそんなものを見せられねえとも限らねえのだから、心得のために覚えておきなよ、引廻しになっても、ならなくても、いよいよこの首が浅右衛門さんあたりの手で、血溜りへ落ちてしまったと思いなさい、そこで非人がその首を引上げて、手桶の水で洗いまさあ、洗って一通りの手当をしてから、俵の中へ包むんだね、この首をさ、そうすると獄門検使というのと、町方年寄とか、村方年寄とかいうのと、同心とが出て来てその首を受取る、その首の俵へ青竹をさし込んで、二人の非人がお仕置場へ持って行って、獄門にかけるという段取りだが、この首が……」
 七兵衛はさながら、自分のこの首が、明日の朝は獄門台にでも上るものかのように、自分の手で、首筋をぴたぴたとたたきながら、
「その獄門台というやつが、あんまり有難くねえやつだが、栂《つが》でこしらえて、長さが二間の二つ切り一本、高さは六尺、そのうち二尺五寸は根になりまさあ、横板の長さが四尺に厚さが一寸、それを柱一本につき五|挺《ちょう》ずつ、つまり、十本のかすがいで足にくっつけ、その真中に二本の釘を押立《おった》てて、その下を土で固め、それへ人間の首をつき刺して、そうして、梟物《さらしもの》が出来あがるんだよ。それにも二人掛けと三人掛けがあって、二人掛けの方は長さが六尺、三人掛けは八尺……その側に捨札が立って、朱槍《しゅやり》と捕道具《とりどうぐ》が並ぶ、向って右手の横寄りに番小屋があって、そこへ非人が詰めることになっている、首の梟しは大抵三日二夜に限ったものだが、捨札の方は三十日間立てっぱなし……」
 この辺で七兵衛は笠を取って、紐《ひも》を結んでしまい、
「お仕置場というやつは、大抵場所のきまったものだが、そのうちにも処成敗《ところせいばい》というのがあって、悪事を働いたその場所で、臨時に首を斬られるやつもあるのさ。そういう時には珍しがって、近郷近在が一生の話の種と、見なくてもいい奴まで見に来るものだが、見て五日や七日は、飯が咽喉《のど》へ落ちないそうだ、なかには一生それが附きまとって、ああ、あんなものを見るんじゃなかったと、生涯苦に病《や》んでいる奴もある、見ねえ方がいいさ。若い衆、お前さんなんぞも、もしや眼前にそんな噂《うわさ》があっても、決して見物に出かけなさるなよ、出世の妨げになるから、あんなものは決して見ねえ方がいい」
 七兵衛は、細々《こまごま》と申し含めるようなことを言って、与八を煙《けむ》に捲きながら、以前の裏の戸を押開けて、外の闇に消えてしまいました。
 まもなく、七兵衛の道中姿を、多摩川を一つ向うへ隔てた吉野村の、柚木《ゆき》の即成寺《そくせいじ》の裏山の松の林の中に見出します。
 非常に大きな赤松の林、ここから見ると山間《やまあい》が海の如く、前岸の村々の燈火《ともしび》が夜霧にかすんで、夢のような趣でありました。
 大きな松の木蔭に立って、いま出て来た水車小屋のあたりを見下ろしている時分に、月がようよう上って、奥多摩の渓谷の半面を、明るく照らしたその光で見ると、七兵衛の眼にも露が宿《やど》るらしい。

         二十六

 木曾《きそ》の福島の宿屋で、今
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