ざいます」
「なんだ――貴様が、当家の留守をあずかると申すか、これだけの屋台骨を、貴様のような間抜け一人で背負って行けるか」
と七人の異体の知れぬ豪傑のうちの一人が、与八に向って大喝《だいかつ》しました。
大きにお世話である。留守を預かろうが、預かるまいが、間が抜けていようと、間が塞《ふさ》がっていようと、お前たちの知ったことではない。宇治山田の米友ならば、二言《にごん》に及ばず、ここで啖呵《たんか》と素槍《すやり》の火花が散るべき場合だが、与八では根本的に問題にならない。といって、委細事情もわからぬ先に、こちらから、あやまってしまうべき筋でもないから、与八は、すっかり煙《けむ》にまかれて、
「はい」
と言ったなり、箒《ほうき》の柄をもちかえる気にもなりません。
しかし、七人の異体の知れぬ豪傑とても、ここで、奥の間めがけて乱入に及ぼうとするほどの無茶を演ずるつもりもないと見えて、
「ほんとうに主人はいないか」
「ええ、ほんとうに留守でございます」
「実際、貴様が留守を預かっているのか」
「その通りでございます、わたしと、お松さんと、二人で……」
「では、仮りにそのほうを責任者とみなして、われわれどもが申し聞かせて置くことがあるから、そこへ坐れ」
「坐れ、坐れ」
一人の総代が先に口を切って、あとの六人が無理矢理に与八を、道場の板の間へ押坐らせてしまいました。与八はもとより少しも抵抗のふうはなく、押据えらるるままに板の間に、ちゃんとかしこまっていると、総代の一人が、
「これ、留守番、拙者は我々同志の総代で笈川《おいかわ》と申す者だ、そのほうに申し聞けて置くことがあるからよく承れ。聞くところによれば、当道場では、このごろ手習に事よせて、多くの小児を集めるのみならず、地蔵のお集まりと称しては近隣の若い者、娘たちを呼び集《つど》えて、舞を舞い、踊りを踊って、昼夜相楽しむとの噂《うわさ》がある。また人々に和歌を教え、学問を授けると称して、悪思想を村々に吹き込むとやの噂もある。いかがわしい地蔵の像を刻んでは盛んに売り出して暴利を貪《むさぼ》り、怪しげな呪文《じゅもん》や護符《ごふ》を撒布して愚民を惑わす、との風聞も頻《しき》りなるにより、我々同志が事情を篤《とく》と見届けに参ったのだ。しかるに主人不在とあるゆえ、そのほうに申し残す、きっとたしな[#「たしな」に傍点]まっしゃるがよろしい」
与八は、それを聞いて、委細わからないなりに恐れ入って、
「はい、はい」
とお辞儀をしました。
「いいか、よくこの事を主人に申し聞かせるのだぞ。なお念のために、この通り書面に認《したた》め参った、これを主人に手渡し申せ」
と言って、笈川と名乗った異体の知れぬ豪傑の中の一人は、懐中から奉書の紙に認めた書状を取り出して、与八の面前でひろげ、他の六人がそれに添いだちになって、
「なお、念のために一応、そのほうに読み聞かせて置く」
といって、笈川が滔々《とうとう》とその奉書の書状を読み上げました。むずかしい文章体で書いてあるから、与八にはよくのみこめませんでしたけれど、要するに、さきほど、総代が言葉で述べて、与八に申し聞かせたのと同じ意味のものであるらしく思われましたが、与八は、どうもこの人たちが、何か誤解をしているのではないかと考えました。
二十三
七人の豪傑は、与八にその奉書の書面を手渡したままで、無事に帰ってしまいましたから、与八も、わけがわからないなりに、ひとまずは安心しました。
その書面を恭《うやうや》しく神棚の上へ載せて、何かあの人たちは勘違いでもしているのだろう、わたしたちのすることを、切支丹《きりしたん》の宣伝でもするかのように誤解して、国のためにそれを憂えて、忠告に来てくれたのかも知れないが、自分としては何と返答をしていいかわからない、お松さんが帰ったら、二人で相談して、なるべくあの人たちの怒りをしずめるような御挨拶をして上げたいものだと、腹に考えながら、道場の片隅で藁打《わらう》ちをはじめました。この藁を打つのは、草鞋《わらじ》をつくる材料を和《やわ》らげるためであります。
その日、お松の帰りは夜になってしまいました。
「与八さん、今日は松茸《まつたけ》で夕飯を食べようじゃありませんか」
乳母《ばあや》は子供たちを寝かしつけているところですから、お松は松茸を料理して、与八と二人だけで夕飯を食べました。
「ねえ、与八さん、もう、あたし、あなたの親御さんたちをたずねるのを、止《や》めようかしらと思ってよ」
「そうですか」
「尋ねないでいた方がよかあないかしら、と思いつきました」
「それもそうかも知れませんね」
と与八は、どうでもいいような返事をしましたけれど、心のうちは、決してそうでないことをお松がよく知っていま
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