持になって、堂の後ろから竹箒《たけぼうき》を探し来《きた》って、落葉を掃いて、堂前の道筋を、すっかり清めてしまいます。
お松が堂の前を掃いていると、雑木林を隔てて街道の彼方《かなた》から、駅馬の鈴が響いて来て、馬子の唄がのんきに耳に入りました。続いて鶏と犬との声が遠く聞えましたが、お松の掃除をしている間は、誰もここへ通りかかる人がなく、掃除がすんでしまって、お松は再び馬上の人となって、北へ向って歩ませました。
二十二
ちょうど、お松が出張した留守中のことであります。沢井の机の道場に与八が、子供たちのおさらいを帰してしまったあとへ、異体の知れぬ豪傑が七人|揃《そろ》って押しかけて来ました。
「これこれ、当家の主人は在宅か」
道場の中を掃いている与八をつかまえて、異体の知れぬ豪傑が、穏かならぬ色で詰寄せて来たものですから、与八が、
「はい」
といって、箒の手を休めて、眼をパチクリして見ていると、
「主人は在宅か」
七人は早くも道場の中へ押し込んで、返答によっては奥へ乱入の気色《けしき》と見えました。
しかし、与八は、変ったお客様にはこのごろは慣れていますから、さのみ驚きません。というのは、沢井の道場の音無《おとなし》の名を遠近から伝え聞いて、かなりの武者修行が押しかけて来ることは、近来になってことに多いものですから、それらが、まだいまだに、机竜之助が存生《ぞんじょう》の者であるかの如く考えたり、そうでなくても、しかるべき系統を伝えて、竹刀《しない》の響を立てていることとばかり信じて立寄って来るのですから、その度毎《たびごと》に与八は、きまったようなおことわりをすることに慣れている。
そこで今日も、その異体の知れぬ豪傑が七人押しかけて来たということに、相当の心得があって、
「あの、こちらの道場では今、剣術の方は休みになっているのでございますよ、剣術の方は休みで、子供たちが集まって、お手習ばっかりやっているんでございますからね、せっかく武者修行においでなさるお方に対しては、まことにお気の毒さまでございますが、悪《あ》しからず御承知を願いとうございますよ」
と、箒を斜めに持ちながら返答しました。この返答は、お松と相談してはんで捺《お》してあるような返答で、与八は来るごとの武者修行にこう言って、素直《すなお》におことわりを言って、素直に帰ってもらうことに慣れているから、それで、今もその伝で行こうとすると、
「おい、われわれどもは剣術を遣《つか》いに来たのではないぞ」
七人の者が、与八を取囲むようにしました。
「はい」
与八は、ぼんやりしました。いつもの客ならば、それで納得《なっとく》して帰るはずなのですが、これは剣術のために来たのではない――と言う以上には、何か別用があるに相違ない。それは、ちょっと今の与八には解《げ》せないことだと思いました。
「主人がいるか、主人がいるなら出せ」
「はい」
と与八は、七人の異体の知れぬ豪傑の面《かお》をパチクリと見ただけで、主人へ取次ごうともしないらしいから、七人の異体の知れぬ豪傑のうちの一人があせり出し、
「おい、主人がいるかと申すに。われわれどもが揃って、こうして主人に面会に参ったということを早く取次げ」
「はい」
与八は、やはり呆気《あっけ》に取られて、箒を斜めに持ったなりで、はかばかしい返事もしないし、取次ぎもしようとしないから、
「早く、主人に取次げと申すに。われわれどもが打揃って参ったことを、主人に取次いで参れ、参れ」
「はい……あの、皆々様、まことに済みませんでございますが、こちらの家には、主人というものはおりましねえのでございます」
「ナニ、主人がない……主人のない家というものがあるものか、主人のない家というのは、首のない胴体と同じことだ」
「ところが、主人というものが、この屋敷にはいねえんでございますから、お取次を申すこともできなかんべエ」
と与八が言いました。
「怪《け》しからん、居留守をつかって、逃げると見える――」
七人の異体の知れぬ豪傑たちは、一様に肩をそびやかして、すごい眼をしましたから、与八が心配をしました。
「旦那様方は御承知ないんでございますか知ら、ここの屋敷の大先生《おおせんせい》というのは、とうにおなくなりになっておしまいなさったし、若先生は行方知《ゆくえし》れずになっておしまいなすったのでございますから……」
与八が弁解を試むると、それと知ってか、知らずにか、七人の異体の知れぬ豪傑のうちの一人が、総代|面《がお》に、
「しからば、留守を預かるのは誰人《だれびと》だ、その責任者を出せ!」
「その留守番は、わたしと、お松さんと、二人でございます、お松さんは、ただいまよそへ出ましたから、わたし一人だけでお留守番をしているんでご
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