が仕方がねえよ、役者が違うんだからなあ。向うは天下のためだとか、国家のためだとか言って、後ろに大仕掛があってやるいたずら[#「いたずら」に傍点]なんだろう、こちとらのは腕一本の、出たとこ勝負のちょっかいだから、やり損じた日にゃ、いつでもお笑い草だ、お笑い草はいいが、さらし物は気が利《き》かねえ」
山崎譲につかまって、ああして惨酷な取扱いを受けている時は、観念の眼をつぶったらしく、一言もいわずにいたのが、この時分、情けない声を出して、
「どうなと勝手にしやがれ……がんりき[#「がんりき」に傍点]のさらし物が見たけりゃ、皆さん、たんと見て行きな、代は見てのお戻りだ」
通りかかって、このさらし物を見るべく足を留めようとする連中を、辻番の足軽が、しきりに六尺棒で追い払うものだから、人だかりはないが、でも、往くさ来るさの人で、このさらし物に目を引かれないものはない。
「水を一ぱいおくんなさい、どうも、いいかげんかけ廻ったものだから、咽喉《のど》が乾いてたまらねえ、愚痴は言わねえから、水を一杯だけ恵んでやって下さい、御当番の旦那……いけませんか。いけなけりゃ、右や左の、通りすがりのお旦那様に、お願い申してみよう。憐れながんりき[#「がんりき」に傍点]に、水を一杯恵んでやっておくんなさいまし」
イヤに哀れっぽい声を出して、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵が所望する水一杯を、誰も相手になって、恵んでやろうとするものは無いらしい。がんりき[#「がんりき」に傍点]は、口の中をしきりにつばでうるおしながら、
「ねえ、水を一杯……水を一杯飲ませてやっておくんなさい、御当番の旦那」
だが、御当番の旦那といわれた辻番の足軽は、最初から受附けず、やむなくがんりき[#「がんりき」に傍点]は往来の者を見かけて、
「済みませんが、水がいけなければ御当所名物の梅干を一つ、梅干をたった一つだけ、心配していただきてえんでございます」
その無心をも誰も、相手にする者はない。
そこで、がんりき[#「がんりき」に傍点]が、荒っぽい声を出して、
「やい、水だい、水を一杯欲しいんだい、一杯の水が飲みてえんだ、小田原というところには、人間に飲ませる水がねえのかい、いま、死んで行く罪人にも、末期《まつご》の水てえのがあるんだぜ、もっそう桶に竹のひしゃくで……」
ちょうど、この時分、女軽業のお角は、ようやくのことに宿を立ち出でて、例の通り駕籠《かご》に乗り、若いのが駕籠わきに附添って、そうして、この唐人小路の思いがけない曝《さら》し物のところまで来て、そのさらし物の世迷言《よまいごと》が耳に入ると、グッとこたえてしまいました。
「いやな声が聞えるじゃないか、耳のせいか知らないが、甲州の猿橋《えんきょう》の下へつるされたやえんぼう[#「やえんぼう」に傍点]が、ちょうど、あんな声を出していたよ」
と、垂《たれ》を手あらく掻《か》き上げて、
「見られたザマじゃない」
駕籠を出て来たお角は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来て、
「何という業《ごう》さらしだい、そのザマは……」
と呆《あき》れ返りました。
呆れ返ったうちには、歯痒《はがゆ》くってたまらない思い入れもある。
「傍へ寄っちゃあいけない」
例の六尺棒が、お角の出端《でばな》を押えようとするのを、お角は丁寧《ていねい》に、
「御免下さいまし、実は山崎譲先生から、お許しをいただいて参ったのでございます」
「ナニ、山崎譲さんから」
「この通りでございます、一切、みんなお返しをしていただいて参りました」
「なるほど」
六尺棒が合点《がてん》したのは、お角が立戻って、自分の乗って来た駕籠を押開いて見せると、その中には、さいぜん山崎譲がこの男から剥ぎ取った一切のものが、まとめてそこに入れてありました。
「なるほど」
再び、がんりき[#「がんりき」に傍点]の傍へ寄って来て、その棒縛りの縄目を解きにかかったお角は、
「ほんとに冗談《じょうだん》じゃないよ、このザマはこりゃ何だい。駿河の徳間峠にしてからが、甲州の猿橋の時にしてからが、覚えがありそうなもんじゃないか、ちっとは、あきらめがつきそうなもんじゃないか、世話の焼けた野郎じゃないか」
「済まねえ……」
「済むも、済まないも、わたしの知ったことじゃないよ」
「かまわねえから、ほっといてくれ」
「かまおうと、かまうまいと、お前の差図は受けない」
と言いながら、お角は、とうとうがんりき[#「がんりき」に傍点]の縄目を解いてしまいました。
縄目を解かれても、この野郎は、もうかなり弱っているから、ちょっとは身動きもできないでいる。
「てんぼうの裸身《はだかみ》なんぞは、誰が見たって、あんまり見いいものじゃないよ」
といって、お角は、若い衆に手伝わせて、この野郎
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