ね》の温泉――
 そこへ、このほど、山の通人が一人、舞込みました。
 もう、これだけ以上には、ここで冬籠《ふゆごも》りをしようというまでのものはないことと、誰しも了簡《りょうけん》しているところへ、山の通人が、同行者を一人つれて、不意に訪れたものですから、新顔が加わって、また新しい話題が湧きました。
 この山の通人は、ツマリこの辺の谷々を経《へ》めぐることにおいては、かなり豊富な知識を持っているらしいから、その経験談は、おのずから炉辺《ろへん》の人を傾聴せしむるに足りるものがありましたが、惜しいことには、この人は少し高慢で、山のことなら自分に限ったものと鼻を高くして、人をさげすむの癖がありましたから、最初は多少尊敬していた人も、うんざりするようになりました。
 しかし、お雪ちゃんは、いつもの通り、よい心だてを以て、この新来のお客に対し、相変らずその持っている知識から、何かの収穫を見ようとする熱心さは、変ることがありません。
 山の通人は、出来星[#「出来星」に傍点]の博士が、小学校生徒に教えるような態度で、見おろしかげんに、
「お雪さん、あなたはこの間の手紙に、ツガザクラの下を歩いたよ
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