転じて大正年間、生存の美人画家……芳年系統の鏑木《かぶらぎ》清方、京都の上村松園、いずれも腕はたしかで、美しい人を描くには描くが、その美人には良否共に、魅力と、熱が乏しい。
その点に至ると、北野恒富の官能的魅惑の盛んなるには及ばない。
新進で、国画創作会の甲斐荘楠音《かいのしょうくすね》が、また一種の魅惑ある女を描くことにおいて、異彩ある筆を持っている。あの時の展覧会で見た三井万里の江島がなかなかよかった。
挿絵の方では、永洗《えいせん》系統の井川洗※[#「厂+圭」、第3水準1−14−82]《いかわせんがい》が、十年一日の如く、万人向きの美人を描いて、あきもあかれもせぬところは、これまた一つの力であり、年英《としひで》門下の英朋は、美人を描くことにおいては、洗※[#「厂+圭」、第3水準1−14−82]より上かも知れないが、その美人は、愛嬌《あいきょう》がなくてつめたい。近藤紫雲の美人にも、なかなか食いつきのいいのがある――
七兵衛は際限なく、浮世絵の過去と将来を論じているわけでもなんでもないのですが、相変らず例の一枚絵をながめているものですから、そんなふうにも見えるので、人は
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