がら、亭主にはつらい色も見せず、和《やわ》らかになぐさめて、しっくりと可愛がってゆく、という女房ぶりだ……豊国は役者の女房にしかなれず、国芳はがえん[#「がえん」に傍点]のおかみさん、国貞は団扇絵《うちわえ》。
明治になって……まさか七兵衛が、明治以後の浮世絵の予言までもすまいけれど、やはり、あんまり念入りに一枚絵を見ているものですから、浮世絵の現在を論じて、その将来に及ぶというような面構《つらがま》えにも見えて来るのが不思議であります。
明治の浮世絵の中心は、何といっても月岡芳年さ。この男は国芳の門から出たはずだが、少なくも伝統を破って、よかれあしかれ、明治初期の浮世絵の大宗《たいそう》をなしている。見ようによっては浮世絵の型が芳年から崩れはじめた……とも見られるが、ああ崩して行かなければ、明治以後の複雑な世相を浮世絵の中にもり込むことはできなかったともいえる。
江戸の女の持つ情味というものは、小さな挿絵一つにも漂わぬということはない。芳年以後に、巧拙はとにかく、あれだけ江戸の女の情味というものを含ませた絵をかき得るものはない。この点においても、芳年が最後のものかも知れない。
前へ
次へ
全251ページ中82ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング