、比較的近代について見ると、狩野家《かのうけ》にはもとより、円山、四条にもすぐれた美人かきはいないようだ。何といっても、美人画は浮世絵の畑だろう。もっとも美人というものの標準も、ちょっと問題ではあるが、人好きのする美人は、まず浮世絵と限ったものだろう……ところで、その浮世絵の美人も品々だが、いずれあやめという時は……左様、まずまあ鳥居派で清長、それから北川派では歌麿。
 清長にはしっかりしたところがある。歌麿は少しだらしないがたまらない。清長を本妻に、歌麿をお妾《めかけ》としたら申し分はなかろう。
 細田|栄之《えいし》――あれはさすがに出がお旗本の歴々だけあって、女郎をかかしてもなんでも、ずっと気品があるが、そうかといって、大所帯向《おおしょたいむ》きのおかみさんにするには痛痛し過ぎる――といってまた、並大抵のものが妾にしては位負けがする……そんなら勝川派はどうだね、何といっても春章はたしかなものだ。清長より少しやさし味があって、歌麿ほどにだらけてはいない。栄之のように上品向きでもないから、まず、相当の大家の御内儀として申し分はない方だけれども、いずれにしても、この辺を女房にするには
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