けないと言う。
 きょう、富士が一尺伸びると、あすは八ヶ岳が一尺伸びている。
 この両個《ふたつ》は毎日、頭から湯気《ゆげ》を出して――これは形容ではない、文字通り、その時は湯気を出していたのでしょう――高さにおいての競争で際限がない。
 そうして、下界の人に向って、両者は同じように言う、
「どうだ、おれの方が高かろう」
 けれども、当時の下界の人には、どちらがどのくらい高いのかわからない。わからせようとしても、その日その日に伸びてゆく背丈《せいたけ》の問題だから、手のつけようがない。
 そこで、下界の人は、両者の、無制限の競争を見て笑い出した。
「毎日毎日、あんなに伸びていって、しまいにはどうするつもりだろう」
 富士も、八ヶ岳も、その競争に力瘤《ちからこぶ》を入れながら、同時に、無制限が無意味を意味することを悟りかけている。さりとて、競争の中止は、まず中止した者に劣敗の名が来《きた》る怖れから、かれらは無意味と悟り、愚劣と知りながら、その無制限の競争をつづけている。
 ある時のこと、毎日|晨朝諸々《じんちょうもろもろ》の定《じょう》に入《い》り、六道に遊化《ゆうげ》するという大菩薩
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