差別がつかなくなりました。仏を信ずるものは往々、魔を信じ易《やす》く、真を語るには仮を捨て難く、事実の裏から想像をひきはなすことは、人生においてなし得るところではないと見えます。
右の武者修行の現に見た物語を緒《いとぐち》として、それから炉辺で語り出されるおのおのの物語は、主として甲州裏街道に連なる、奇怪にして、荒唐にして、空疎にして、妄誕《もうたん》なる伝説と、事実との数々でありましたが、この人たちは皆それを実在として、極めてまじめな態度を以て取扱っているのであります。
これはあながち笑うべきことでも、侮《あなど》るべきことでもありません。つい近代までの学者は、精苦して八十幾つの元素を万有の中から抽《ぬ》き出してみたが、電子というものが出てみると、その八十幾つの元素がことごとくおばけとなってしまいました。
しかもその電子の、過去と、未来とは、白昼の夢のわからない如く、わからないのであります。
二
次にその夜の物語。大菩薩峠伝説のうちの一つ――
富士の山と、八ヶ岳とが、大昔、競争をはじめたことがある。
富士は、八ヶ岳よりも高いと言い、八ヶ岳は、富士に負
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