草をのみはじめたから、
「あ、物になっちゃあいねえ……」
 七兵衛は、反《そ》りかえってしまいました。その道の者からいえば、この忍びの連中のやることは無茶だ。本当の忍びは、呼吸そのものさえ絶滅してしまわねばならぬ。煙草を吸った日には、三里先にいる動物だって逃げるではないか。
 果して、一行のうちにも、多少は思慮の深いのがあって、
「君、煙草をのむことは、よした方がよかろうぜ」
と注意を与えると、
「そうか」
といって、素直にそれを揉《も》み消して、それからは極めてひっそりと、一本のろうそく[#「ろうそく」に傍点]に額《ひたい》をあつめて、絵図面の研究をつづけているうちに、その中の一人が、また制禁を忘れて、
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「失脚落チ来《きた》ル江戸ノ城、井底《せいてい》ノ痴蛙《ちあ》ハ憂慮ニ過ギ、天辺ノ大月高明ヲ欠ク……」
[#ここで字下げ終わり]
と、はなうたもどきにうなり出したものですから、その時に七兵衛が、
「ははあ、わかった、今時、薩摩屋敷の中で、こんな声がよく聞える、なるほどあの連中のやりそうなことだ」
と感心しました。
 そうか、そんならばひとつ、こっちもいたずらを
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