して、その長い下緒《さげお》を、口にくわえていました。
 それですから、例の菅笠《すげがさ》に合羽、という在来のいでたちとは全く趣を異にするのみならず、今までの七兵衛として、仕事ぶりにおいて、こうまでキリリと用心してかかったことはないようです。つまり一世一代の了簡《りょうけん》が、そのいでたちにまで現われて、今度の仕事は冗談じゃない、という気にもなったのでしょう。
 ところで、難なく一の御門の塀を乗越えて、その塀の下をズッと走るとお薬園《やくえん》であります。お薬園の築山の下へ来て、七兵衛の姿が見えなくなりました。
 見えなくなったのではない、動かなくなったのであります。鼠のように走って来た七兵衛が、とある木かげへ来て、ピッタリ吸いついてしまいました。
 これまで決行するからには、もうあらかじめ城内の案内は、手に取るように頭に入れておいたに相違ない。あらかじめ神尾主膳あたりの手から、江戸城内の秘密図といったようなものを手に入れておいて、要所要所は、悉《ことごと》く暗記しての上からでなければ、こんな仕事にかかれようはずはない。
 そこで、お薬園の木蔭にぴったり吸いついた七兵衛は、まず、ち
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