ひとはだ》ぬごうという気になりました。
 そうすると、何か世話を焼きたがる老人たちも出て来て、何かと口伝《くでん》を教えるものですから、お祭の景気は予想外に大きなものになりそうです。
 赤飯《せきはん》をこしらえて配ろうというものもあるし、おまんじゅうを供養して、子供たちに分けようというものも出て来る。
 老人たちが肝煎《きもいり》で若衆たちの一団が、古風な獅子舞を催して、その一日は、踊って踊りぬいてみようとの意気組みを、お松も喜んで頂戴しました。
 お祭の日が進むにつれて、お松は毎晩、徹夜のようにつとめております。それは、娘たちの出品や、教え子たちの製作物の調べ、自分もまた、いくつかの燈籠を受持って、それに歌を書かねばならないし、すべて持込まれる相談は、大小となく、お松一人がそれを引受けて、あずかり聞くという役目であります。
 しかし、何といっても、こういう事の骨折りは、人間を疲労させるよりは、かえって元気を与えるものであります。
 どこから、どう伝え聞いて来たものか、その当日の景気は盛んなもので、多摩川の河原から、地蔵堂附近へかけての人出は夥《おびただ》しいものである。
 向う岸の
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