忽《たちま》ちの間に成立って、まず最初の記念祭を、この二十三日に、お松の発祥地で開き、それから至るところに及ぼし、二十三日には、それぞれお祝いをしようではないか、ということが、娘たちの間に、少なからぬ熱心を以て提唱されるようになったのです。
 地蔵中心の二十三日のお祭、お松も、与八も、それはよい思いつきの、よいくわだてだと思いました。与八は、それまでに間に合わせるといって、木をえらんで、一丈余りの地蔵尊をきざむことにとりかかる。
 その地蔵尊が出来上ると、従来のお堂をとりひろげて勧請《かんじょう》し、多摩川の岸までズッと燈籠《とうろう》を立てました。
 娘たちは乗り気になって、それぞれのものを寄附する。燈籠の絵も、讃《さん》も、大抵はその娘たちや、教え子たちの筆に成るものが多いのですから、期せずしてこれは、地蔵を中心としての共進会であり、展覧会であるようなことになります。
 お祭の前には、その娘たちが、それぞれひまを見ては、やって来て、お祭の準備の手伝いをする。
 そこで、また一方、お松は若衆《わかいしゅ》たちに向って後援を依頼したものですから、若衆もいい気持になって、よしよし、一肌《
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