は祝すべきことでありますが、一生の事は必ずしも、そう単純には参らない。大悟十八遍、小悟その数を知らずと、東妙和尚もよくいうことでありますが、今のところは、ほとんど逆転の憂いがないと見なければなりません。
 さればこそ与八のわからないお経も、ようやく妙境に入って、聞く人をしておのずから、神心を悦嘉《えつか》せしむるのかも知れません。
 しかしながら、こんな悦楽が、人間世界の夜の全部を占領するのは、悪魔の世界のねたみを受けるには十分であると見え、暫くして、この悦楽の世界が、忽《たちま》ちにしてかきみだされたのは是非もないことでしょう。
「与八さん、エ、与八さん、エラク御精が出るじゃねえか、いいかげんにしなよ、いいかげんにして寝なよ、身体《からだ》も身のうちだ、そうひどく使うもんじゃねえよ、ちっとは、身体にも保養というものをさせてやらなけりゃ毒にならあな、いいかげんにしなよ、え、ヨッパさんたら、ヨッパさん」
 経文を誦《ず》しながら藁《わら》を打っている与八の境涯をかき乱した声が、お松のところまで手に取るように聞えたものですから、お松もハッとして苦《にが》い心持になりました。
「いいかげんに
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