て下さい、とたのんだこともありません。わからないで読むお経を、わからないで聞いてこそ、それで有難味が一層深い。それを口に出していうのが、なんだか惜しいような気持がしてなりません。
 なんにしても、このごろのお松の心では、犠牲が感謝であり、奉仕がよろこびであり、忍辱が滅罪であることの安立が、それとはなしに積まれているようであります。
 与八としても、ほぼお松と同様で、平淡なるほど自分の立場の堅実を、感ぜずにはおられないと見えます。
 人が自分の立場の堅実を感ずるのは、必ずしも財産が出来たから、名誉が高くなったから、というのではありません。自分を打込んで、他のために尽し得るという自信が立ち、その道が開けた時に、はじめて起るのであります。
 おのれを放捨して、絶対愛他の生活に一歩進み入る時に、人は一歩だけその立場の堅実を感ぜずにはおられますまい。言葉を換えていえば、我慾を増長せしめた瞬間にこそ、人は自己の立場に不安を感じ、報謝の志を起した時に、はじめて自己の立場の堅実を悟るということが、逆に似て、順なる人生の妙味であります。
 お松も、与八も、期せずして、その妙理を会得《えとく》せんとするの
前へ 次へ
全251ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング