ません。
 しかし、お松のは、そういったような夢幻的の蛇の目の傘ではなく、また、お松自身も不美人ではないが、透きとおるような美人というよりは、もっと現実的な娘で、雨の日、途中で足駄の緒をきった時などは、足駄を片手にさげて、はだしでさっさと歩いて帰ることもあるくらいですから、白昼、蛇の目の傘を開いて、秋草の乱るる高原を、悠々閑々と歩むような気取り方をしないにきまっています。
 ただ、お松の行くところには、いつもムク犬がついて行くこと、その昔の間《あい》の山《やま》の歌をうたう娘の主従と変ることがありません。
 それにお松は、子供の時分から、旅の苦労を嘗《な》めて足が慣らされていますから、この多摩川沿いの山間《やまあい》や、沢伝いのかくし道を平気で歩いて、思いがけないところで出逢《でっくわ》す人を驚かすこともあり、この辺は古来、狼の名所とされているところで、今はそんなことはないにしても、人のかなりおそれる山道も、ムクがついている限り安心ですから、お松はかなり無理をしてまで、山々の炭焼小屋までおとずれ、そこに住む子供たちに、お手本を書いて与えて来ることなどもあるのです。
 それですから、いよ
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