三

 一方、沢井の机の道場を、右の武者修行が立去って数日の後、雨が降りましたものですから、お松は蛇《じゃ》の目の傘をさして、川沿いの道を、対岸の和田へ行きました。
 お松が和田へ行くのは、今に始まったことではないが、このごろは、ほぼ一日おきのように和田へ行かなければなりません。
 というのは、和田の宇津木の道場が、机の道場と同じように廃物になっているのを、お松が新しく開いて、机の道場と同じように、学校をはじめたからであります。
 そこへ、多くの娘たちがあつまって、お松をお師匠さんとして、裁縫を学ぶべきものは学び、作法を習うべきものは習うように、一種の講習会を開いたのが縁で、その娘たちのうちの有志の者が力を合わせて、別にまた子供相手の寺子屋をはじめました。
 で、お松は、このごろは沢井の方と一日おきに往来するものですから、雨の降る日は傘をさし、足駄がけで、一里余の道を歩くことは珍しくはありません。
 おそらく、過日の武者修行が、裂石《さけいし》の雲峰寺で、炉辺《ろへん》の物語の種としたのは、途中、このお松の蛇の目姿にであって、それに潤色と、誇張とを加えたのかも知れ
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