ひとはだ》ぬごうという気になりました。
そうすると、何か世話を焼きたがる老人たちも出て来て、何かと口伝《くでん》を教えるものですから、お祭の景気は予想外に大きなものになりそうです。
赤飯《せきはん》をこしらえて配ろうというものもあるし、おまんじゅうを供養して、子供たちに分けようというものも出て来る。
老人たちが肝煎《きもいり》で若衆たちの一団が、古風な獅子舞を催して、その一日は、踊って踊りぬいてみようとの意気組みを、お松も喜んで頂戴しました。
お祭の日が進むにつれて、お松は毎晩、徹夜のようにつとめております。それは、娘たちの出品や、教え子たちの製作物の調べ、自分もまた、いくつかの燈籠を受持って、それに歌を書かねばならないし、すべて持込まれる相談は、大小となく、お松一人がそれを引受けて、あずかり聞くという役目であります。
しかし、何といっても、こういう事の骨折りは、人間を疲労させるよりは、かえって元気を与えるものであります。
どこから、どう伝え聞いて来たものか、その当日の景気は盛んなもので、多摩川の河原から、地蔵堂附近へかけての人出は夥《おびただ》しいものである。
向う岸の人は渡し場を渡ると、そこから、かけはじめられた燈籠《とうろう》が、おのずから地蔵堂の前へ人を導き、沿道には早くも縁日商人連が近在から出て来て、店を張ろうという景気です。
地蔵堂に参拝すると、また燈籠に導かれて、机の家の屋敷へ上るように仕組まれてあります。道場から母屋《おもや》は、娘たちと教え子たちの成績品でいっぱいで、それを、昨晩から夜どおしで、お松と、娘たちとが、漸《ようや》く陳列を終りました。
最初は、ほんのうちわのお祭のつもりでかかったのに、その規模と、景気が、予想外の人気になったのを、陳列を終ってホッと息をついたお松が、地蔵堂まで下りて行って見て、はじめて驚いたほどでありました。
しかし、この人気は悪くない。平和と、勤労とを愛する人たちが、ここに浩然《こうぜん》たる元気のやり場を求めて、思いきり楽しもうとする人気そのものに、少しも害悪のないのを認め、働く人たちの嬉々として晴れ渡った顔を見ると、お松はこのお祭の前途を祝福して、よい心持にならずにはおられません。
その日、東妙和尚が伴僧《ばんそう》を連れて来て、地蔵様の前で地蔵経を読んでくれました。特にその日は、和訓を読んでくれたものですから、お経はわからないものだと思っているお松の耳に、意外にもありありと字句の要領がわかりました。
供養《くよう》が終ると広庭で、若衆《わかいしゅ》たちの獅子舞がはじまりました。
この獅子舞がまた目ざましく盛んなもので、多数の牡獅子《おじし》と、牝獅子《めじし》と、小獅子《こじし》とが、おのおの羯鼓《かっこ》を打ちながら、繚乱《りょうらん》として狂い踊ると、笛と、ささらと、歌とが、それを盛んに歌いつ、はやしつつ、力一ぱいに踊るが、それは粗野ではない。花やかにはやすが、それは古雅の調べを失わない。人をして壮快に感ぜしめながら、野卑の態なくして、妙に酔わしむるリズムがある。
お松はこの古風な獅子舞を、また得易《えやす》からぬものだと思いましたが、年寄に聞いてみても、ただ古くから伝えられているとばかりで、いつの頃、誰によって、この地方へ持ち来たされたものだか、それはわかりませんでした。
その古風な舞いぶりを、今の若衆《わかいしゅ》たちが老人の後見で、伝えられた通りを大事に保存しながら、威勢よく舞っているらしいのが、お松をして、いっそう珍重《ちんちょう》の念を起させたようであります。
お松は上方《かみがた》にある時、ある舞と踊りの老師匠の口から、次のように聞かされたことがあります。
今の世は、踊りの振りというものも、舞の手というものも、みんなきまる[#「きまる」に傍点]だけはきま[#「きま」に傍点]ってしまった。新作とはいうけれど、そのきまった形を、前後にくりかえしたり、左右に焼き直したりするだけのものだから、いくつ見ても、要するに同じようなもので、多く見れば見るほど、倦厭《けんえん》と、疲労とを催すに過ぎない。これは形が爛熟《らんじゅく》して、精神が消えてしまったのだ。舞踊の起った最初の歓喜の心を忘れて、末の形に走るようになったから、今、都の踊りに、見られた踊りは一つもない。そこへゆくと、古来伝わった郷土郷土の踊りを、生気の溢《あふ》れたそぼくな若い人たちが器量一ぱいに踊ると、はじめて、人間の歓喜、勇躍の精髄が、かくもあろうかとおもわれて、手に汗をにぎることがある。都の舞踊を改革するならば、郷土の舞踊の精気を取入れなければならぬ。そうでなければ踊りは死んでしまう。いや、今の都の踊りはすべて死んでいるのだ――こう言ってその老師匠は、ひま[#「ひま」に
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