と、身動きもしないで寝ていると、この闖入者《ちんにゅうしゃ》は、金椎《キンツイ》をおびやかした者よりも遥かに気が強く、トロンとした眼を兵馬の寝ている方へ据えて、
「お起きよ、房ちゃん――今日のお祭に、面白い弥次馬が出たことよ、妙なおじいさんが飛び出して来てね、すっかり世話を焼いちまったの、ずいぶん皮肉なおじいさんよ、それでも、なかなか言うことが通っているから、油断がならないのさ。それともう一つ面白いことはね……お聞きなさいよ、起きてお聞きなさいてば。若いくせに、何だってそう早寝ばっかりしたがるの、寝られないような苦労もしてごらんな、若いうちはさ――その代り、寝られないようなうれしい思いもさせて上げるからさ。一年に一度のお祭じゃないの、夜どおし起きて騒いだって、罰《ばち》は当るまいじゃないか。狸をきめたってわかってることよ、くすぐって上げるよ、それでも起きなけりゃ、ツネって上げることよ、それがイヤなら、素直にお起き」
今にも飛びついて来るかと思うと、やはり口先だけの虚勢で、頭をぐったりと火鉢の前に下げてしまい、やがてそれが横向きになると、火鉢のふちへひじを置いて、頬杖《ほおづえ》をついて、息づかいが極めて静かなものになりました。
急におとなしくなったものだから、兵馬も、いっそう張合いが抜けて、まあ邪魔にもならないのだから、そのままにという気になって、自分は、寝返りを打って寝入ろうとしたが、そうは急に眠れない。
そのうち、急におとなしくなったかの女が、いよいよおとなしくなったものですから、もしやと思ううちに、スヤスヤと眠りに落ちた息づかいですから、
「おや、おれより先に寝ついたのか」
兵馬は驚いて、枕をそばだてて見ると、女は畳の上に腕を枕にして、いい心持で横になっている。こうなっては仕方がない、ゆり起して帰すよりほかに手段がないと、帯引きしめて兵馬は起き出して来ました。
前後も知らず寝込んでしまっている女を兵馬が見ると、さまで醜いとは思いませんでした。本来、女の酔っぱらいほど醜いものはないのに、これは醜いというよりはかえって、絢爛《けんらん》にして、目を奪うという体《てい》たらくです。
友禅というのか、縮緬《ちりめん》というのか知らないが、これは、眼のさめるほどの極彩色のいしょうをつけて、無雑作《むぞうさ》に片はだぬぎの派手な襦袢《じゅばん》の、これ見よがしなのも、そんなにキザとも思われず、つやつやした髪を、男まげに雄渾《ゆうこん》に結い上げたところもいや味にはならず、なんだか豪侠な気が胸に迫るようにも思われます。
それに、こってりと濃い化粧をした女の顔も、吉原あたりで見る鉄火《てっか》のようなところもあって、年も二十を幾つか越したぐらいのところ、芸者としては、今を盛りの芸者ぶりで、立派に江戸芸者で通るほどの女でありましたから、兵馬も一時はあわてました。
やがて、そばへよって、女の肩のところに手をかけて、
「もし、起き給え!」
と軽くゆすりましたが、女は少しもこたえがありません。
さんざんに疲れた上に、充分に酔っている。酔って、場所の見さかいのないほどになっているのだから、手ごたえのないのも無理はあるまい。
「起きなさい!」
そこで、兵馬は、二度目には、以前より手づよくゆすってみました。
でも、ちょっと女が眉《まゆ》のあたりを動かして、口をゆがめただけで、さっぱり手ごたえがありません。この上は、手荒くたたき起すか、そうでなければ、さいぜんこの女が威嚇《いかく》したように、急所を突ッつくか、痛いところをツネるかしないことには、お感じがあるまい。
兵馬は、この女から、起きろ起きろと威嚇されたことを、今度は自分の方から試みて、どうでも、この女の目をさまさせねばならぬ立場に変ったことを、笑止がらずにはおられません。
しかし、ツネったり、ひっかいたりすることは、兵馬の得意とするところではありません。やむなく、正攻法によって、以前より強い刺戟を与えて、驚かすよりほかはなく、
「さあ、起き給え!」
これでもかと、兵馬は思いきって力を入れて女をゆすると、さすがに、女も夢を驚かされました。
その機会をすかさず二三度突くと、女はようやく頭を起して、酔眼を見開いて、どこともつかずうちながめているから、
「ここは君の来るべきところではない、起きて帰りなさい」
兵馬は、そこで手をゆるめて、忠告を加えたが、酔眼と、ねぼけまなこで見返した女の心には、まだなんにもハッキリした観念がうつらないらしい。そうしてものうげに、
「いいのよ、いいのよ」
といって、またも、ひじ枕で横になろうとするから、兵馬はあわてて、
「いけない、眠ってしまってはいけない!」
「うッちゃっといておくれ、かまわないから――」
こちらで言うべきことを、あちらで
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