ると、うだって、腐りきってしまう奴等ですが……みんごと、魔物の餌食《えじき》になって、二人とも、沼へ落ちて死んでしまったが……いやはや、罪のむくいとはいえ気の毒なものさ……お嬢さん、あなたなんぞは年も若いし、今が大切の時ですから、暗い方へ行ってはなりませんよ、始終明るくおいでなさいよ。そうしないとカビが生えますよ、毒な菌《きのこ》が生えますよ……光明は光明を生み、悪魔は悪魔を生みますよ。ほんとに、あなたはこのごろ顔色が悪い、この間中のさえざえした無邪気な色が消えかかって行く。気をおつけなさい……』
神主様から、こう言われた時、わたしは思いきってこの神主様に、この頃中の胸の悩みを、すっかり打明けてしまおうかと思いました。

弁信さん――
善きにつけ、悪《あ》しきにつけ、相談相手というもののないわたしは、この時、洗いざらい、自分の今までのしたことと、悩んでいることを、この神主さんに打明けて、どうしたらいいか教えていただこうと思いましたが、神主さんの顔が、あんまりかがやかしいものですから、ツイ臆してしまって、それが言えませんでした。
話せば、相当の同情も持って下さろうし、解決もつけて下さるかも知れませんが、それにしては、あんまりこの方は、明る過ぎると思いました。
明る過ぎるというのはおかしいようですが、この神主様は、明るいところばかり知って、暗いところを知らないのじゃないか知らと、わたしは危ぶみました。
それならば、なお結構じゃありませんか、その明るい光の前に、すべてのけがれをブチまけて、それを清めていただきさえすれば、この上もない仕合せではないか……と一通りはお考えになるかも知れません。
しかしね、弁信さん――
自分が一度も病気になった覚えのないものには、病人の本当の苦しみというものはわかりませんのね。ただ明るいところばかり見ている人は、それはこの上もなく結構には違いありますまいが、暗いところの本当の楽しみ……または苦しみといったものに、本当の理解がしていただけるかしら。それが、ふと、わたしの胸にあったものですから、ツイ、わたしはこの神主様の前に、一切を打明けることを躊躇《ちゅうちょ》いたしましたのです。
あまりにこの神主様は、すべてが明るく、かがやかし過ぎます。
それが、弁信さん――
あなたならば……あなたは明るいということを知りませんから、あなたに向っては、たとえば、どんな自分の罪でも、けがれでも、すっかり打明けて、恥かしいとも、悔《くや》しいとも思いませんが、あの神主さんの前では、まだどうしても、自分を開いて見せようという気になれませんでした。
そこで、口先をまぎらかすように、わたしは、神主さんの言葉尻について、
『けれども神主様、暗いところがあればこそ、明るいところもあるのじゃありませんか、夜があればこそ、昼もあり、悪があればこそ、善もあるのじゃありませんか……人はそう明るくばかり活《い》きられるものじゃありますまい、罪とけがれに生きているものにも、貴いところがあるのじゃありますまいか……』
と言いますと、神主さんは相変らずニコニコとして、こともなげにそれを打消して、
『そんなことがあるものですか、明るい心を以て見れば、この世界に暗いというところはありませんよ。善心から見れば、悪なんというものが存在する場所はありません。悪というのは、つまり人間に勢いをつけるために、それを征伐させるために、神様がこしらえた道具なのです。悪というものは、本来あるものじゃありません。なあに、貴いものが罪とけがれに生きられるものですか、罪とけがれの中にも、死なないのが貴いものですよ』
『ですけれども神主様……この世には、悪いと知りつつ、それを楽しみたくなり、怖ろしいと思いながら、それを慕わしくなって行くような心持をどうしたものでしょう』
『それそれ、それが闇の物好きだ、すべての罪は物好きから始まる……お前さんにゃ今、おはらいをして上げる』
といって、神主様は大きな御幣《ごへい》を取って、わたしの頭上をはらって下さいました。
そうして、わたしはこの鐙小屋《あぶみごや》を出た時に、明暗二つの世界の中に、浮いたり沈んだりするような心持でありました。
その夜の夢に、あのイヤなおばさんが現われて、さげすむように、わたしの顔を見て笑い、
『何をクヨクヨしているの、お雪ちゃん……もしねんねが生れたら、大切に育ててお上げなさいな、それがイヤなら、おろしておしまい、間引いておしまい、殺しておしまい』

ああ、弁信さん――
この次に、わたしが、あなたに手紙を書く時、わたしの心持が、どんなに変るかわかりますか」
[#ここで字下げ終わり]

         十四

 駒井甚三郎と、田山白雲とは、房州南端の海岸を歩いている。
 駒井は、軽快な洋装をして手に鞭《むち》を持
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