、今後は松本の市中へにせものが入り込まず、おかげで、これからは本格の勧進帳でもなんでも見られるだろうと喜ぶ。
すべてが、仏頂寺や、川中島の百姓たちの取った手段を、悪いという者のない中に、市中の一角に巣を食っていたガラクタ文士の一連だけが、文句をいいはじめました。
横暴である、暴力団の行為である、暴力を以て芸術を蹂躙《じゅうりん》するのはよろしくない、と騒ぎ出したのがある。
それらがまた不相当の理窟を付けて、なにも弁慶というものは市川家の弁慶ではない――海老蔵とそのまま出せば冒涜《ぼうとく》にもなろうが、ちゃんと遠慮して海土[#「土」に傍点]蔵としてあるではないか、人間には呼び名の自由がある――なんぞとガラクタ文士が理窟を捏《こ》ね出しました。
この連中は常に、クッついたり、ヒッついたりする物語を書いて、おたがいに刷物を配っては得意がっている。親たちがそれを意見でもしようものなら躍起となって、芸術は修身書ではありませんよと叫び出す。
そうクッついたり、ヒッついたりすることばかり書くことは罷《まか》りならん――と、お役人からお目玉を食うと、彼らの憤慨すること。そこで忽《たちま》ち官憲の横暴呼ばわりが始まる。
翌朝、道庵先生がお湯に入っていると、それとは知らず、こんな不平を道庵の前へ持ち出して、仏頂寺の乱暴を鳴らす若いのがありましたから、道庵は、お湯の中でそれを聞き流していると、いよいよいい気になって、クッついたり、ヒッついたり、吸いついたりするところをやって何が悪いでしょう、外国では……と、際限がないものですから、道庵先生が居眠りをするふりをして、その頭をコクリコクリと若いのの頭へブッつけました。
年こそとったれ、道庵の頭はなかなかかたいのですから、それをコツリコツリ、ブッつけられてはたまらない。クッついたり、ヒッついたりの青年は、慌《あわ》てて湯から飛び出してしまいました。
幕末維新の時代は、政治的にこそ未曾有《みぞう》の活躍時代であったれ――文学的には、このくらいくだらない時代はありませんでした。
これを前にしては、西鶴の精緻《せいち》が無く、近松の濃艶が無く、馬琴の豪壮が無く、三馬の写実が無く、一九の滑稽が無い――これを後にしては紅葉、漱石の才人も出て来ない。況《いわ》んや上代の古朴《こぼく》、簡勁《かんけい》、悲壮、優麗なる響きは微塵《みじん》もなく、外国の物質文明を吸収することはかなり進んでいたが、その文学を紹介し、これを味わうものなんぞはありはしない。
有るものはガラクタ文士の小さな親分。有っても無くてもいいよまいごとを書いて、これを文芸呼ばわりをし、前人の糟粕《そうはく》を嘗《な》めては小遣《こづかい》どりをし、小さく固まってはお山の大将を守《も》り立てて、その下で小細工をやる。その小細工だけは一人前にやるが、彼等から、めぼしい作物というものが一つでも出たということを聞かない。
時に、政治的には勤王党だの、佐幕党だのという呼び声が高かったものだから、この文士連もそれを真似《まね》て、政党気分になったかも知れない。
「お前方、それは料簡《りょうけん》が違いますよ、天下の政治を取るには多数でいかなければならないが、文学や、美術というものは、多数ずくではどうにもならないのだよ、薩摩と長州が力を合わせれば、徳川を倒せるかも知れないが、その力で古法眼《こほうげん》の絵を一枚作るわけにはいかない――」
道庵先生なども、それを戒めてはおりましたが、どうにもならないで、いよいよ堕落するばかりでありました。
だからこの連中は、ガラクタ文士を集めては相当範囲の勢力圏を作り、自党に不利なるものの出現に当っては、伏兵を設けて、白いものを黒く、黒いものを白くする宣伝術策ぶりだけは、腐敗した時代の政党に異ることなく、文学というものを、極めて低劣な手練手管《てれんてくだ》にして、体裁だけは高尚がっておりました。
ロシヤのトルストイが「戦争と平和」を脱稿したのは、この前年であります。フランスのユーゴーが「哀史《レ・ミゼラブル》」を公《おおや》けにしたのは、その五年ほど以前であります。英のラスキンが美術論から、社会改良の理想に進んで行ったのも、この時代のことであります。
しかるに、日本の文学界は前申す通りの、お山の大将とそれを取巻く寄生文士、その争うところは、裸物《はだかもの》を表に出してはいいとか悪いとか、クッついたり、ヒッついたりの題目をさし止めるとは横暴無礼、奇怪千万と血眼《ちまなこ》になること、馬琴という奴は、戯作者《げさくしゃ》の境涯を脱して、道学者気取りで癪だから、猫の草紙を作って、その八犬伝を冒涜《ぼうとく》してやれ! 彼等のなすところは、せいぜいそんなものでありました。
仏頂寺弥助は、その翌日、蝦蟇仙人《がませんにん》を描いた床の間に柱を背負って坐り込み、こんなことをいいました、
「なあに、吾々が手を下すまでもなく、見る人の眼が肥えていさえすれば、にせものが百人出ようとも、あえて問題にするまでもなく自滅あるのみだが、如何《いかん》せん、あんなのを人気にするほど盲目《めくら》千人の世だから、少しは眼を醒《さ》まさせてやる必要がある――いけないのは、あの者共の周囲について、煽《おだ》てたり、提灯《ちょうちん》を持ったりする奴等で、菓子折の一つも貰えばいい気になって、お太鼓を叩くのだから、役者共もつけ上る。正直な見物も、ちっとの間は迷わされる――よい批評家というものがあって、公平に、親切に、厳格に、事を分けて、役者を叱り、素人《しろうと》を導いてやればいいのだが、今はその批評家というのが無く、ただ無いだけならいいが、その批評家というやつがグルになって、碌《ろく》でもないものをかつぐのだから、そこで吾々の腕力が必要になる。罪は人形使いと、批評家にあるのだ……芝居に限ったことはあるまい」
二十八
宇津木兵馬に愛想づかしを言って分れたお銀様は、その晩、ふらふらと甲府の宿を立ち出でました。どこへ、どう行こうという当てがあって出かけたとも思われません。ただ、どうも、じっとしてはいられないので、そぞろ歩きをしてみる気になったのでしょう。
甲府の町の天地は、今やその昔のように殺気のあるものではありません。頭巾《ずきん》を冠《かぶ》ったお嬢様が一人歩きをしようとも、宵《よい》のうちは怪しむものもありませんでしたが、人通りの稀れな所へ行くと、
「あのお嬢様はどこへ行くつもりだろう――いくらなんでもこの淋しい竜王道を……追剥《おいはぎ》でも出たらどうなさる、去年のように辻斬が流行《はや》らないで仕合せ、それでも雲助の悪いのや、無宿者の通り易《やす》いこの道を、怖いとも思わず女一人で……」
後ろ影を見送って心配する者もありましたが、それも目には入らないで、お銀様は、ただもうふらふらと歩いているだけのようです。それでもややあって、
「おや?」
とわれに返った時は、月があるのか無いのか知らないが、天地がぼかしたように薄明るく、行く手の山を見ると、それは見覚えのある地蔵、鳳凰《ほうおう》、白根の山つづき。
ああ、いつか知ら、甲府の町は離れてしまった。それでも、われを忘れて歩いていた道は、忘れもしない竜王道。
知らず識らず、自分は故郷の方へ近く歩いていたのだと知りました。
このあたりは、もう、人家とては一つもなく、往来もまた人通りがありません。
故郷の有野村。
そんなつもりではなかったのに、どうしてこちらへばかり足が向いたのか。
越鳥《えっちょう》は南枝に巣くうということだが、いい知らぬ人情が、本能的に人を故郷の方へ向けてしまうと見える。
ああ、あれは有野村のわが屋敷の中の森ではないか、あの黒いのは。
有野村一帯は父の家のようなものだが、わけてあの黒い森の下に自分のと定められた家がある。
故郷、自分は故郷へ帰るつもりではなかったのだ、故郷を避けて通るつもりであったのに、故郷が自分を引きつける。あの暗い森の下に、やはり温かい何物かがあって、この荒《すさ》み果てた自分を迎えてくれようとするその懐し味こそ、なかなかに仇。故郷の山川は、やはり温かいものを持っているのに、それにしても、わがこの身の何という荒み方!
お銀様は留度《とめど》もなく涙が流れました。その涙を拭おうとすればするほど泣けてたまりません。
呪《のろ》われた自分、ひねくれたわれ。泥土のようにわれとわが身を蹂躙《じゅうりん》して慊《あきた》らないこの身に、呪詛《じゅそ》と、反抗と、嫉妬と、憎悪と、邪智と、魔性《ましょう》のほかに、何が残っている。
人は故郷へ帰るが、魂はどこへ帰る。
故郷はこの醜骸を迎うるに、温かき心を以てするとも、この傷ついた魂をいたわるものは、いずれにある。
お銀様は、そこに立って、ひた泣きに泣きました。涙の限り泣きました。
慈愛あって、その慈愛を信ずることのできない父の名を呼んで泣きました。
自分の形骸を壊して、こんな生れもつかぬ醜いものとして陥れたと信じている継母の名を呼んで、お銀様は泣きました。
ほとんど白痴に近い弟の三郎――やがて有野の家の当主となって、無意味なる財産のためにさいなまるべき弟の名を呼んで泣きました。
最初の愛人幸内の名を呼んで泣きました。が、今はその愛人も無く、それを虐殺した人もありません。
われは惨虐と、貪汚《たんお》と、漂浪と、爛《ただ》れたる恋と、飽くことなき血を好む――と、お銀様は強《し》いてこれをいおうとしたが、おぞくも涙にくれて、それは立消えとなりました。
欲しいものはなんにもない。ただ純な心一つが欲しい。その心一つを抱いて故郷の土が踏めるなら――と、お銀様の魂がしきりに叫びました。
傷ついた魂から血が流れます。お銀様はその血を押えながら街道を歩みはじめました。道が竜王の松原へかかって、有野へはこれから曲ろうとするところ。
ふと、赤児の泣き声がする。遠いところで乳呑児《ちのみご》が、糸のように泣いては泣きやむ。
その声を聞くと、お銀様は地上を覗《のぞ》いて見ました。
血は流れていないが、物がある。
お銀様はギョッとしてたちどまりました。
だが、それはその昔、蹴裂明神《けさくみょうじん》の前で見た捨児ではない。長塚新田の馬喰《ばくろう》が落したハマでもない。この街道には相応《ふさ》わしからぬもの――
柱が二つに折れ、半月から腹まで無惨に踏み裂かれた一面の琵琶が、街道の地上に露を帯びて打捨てられてある。
お銀様は一見して、これは追剥に逢ったのだと思いました。人間が追剥に逢ったのではない。琵琶が――琵琶そのものが悪漢に捉まって、首を切られ、腹を裂かれたのだ。琵琶そのものがここで無惨にもあえなき最期《さいご》を遂げたのだと思いました。
こういう場合、人間の死骸よりも、有るべからざるところにある物の死骸が物凄い。見給え、琵琶の腹から夥《おびただ》しい血潮が流れている――
人間の手に作られて、人間の用をなすもので、人格の備わらぬというは一つもない。
琵琶が殺されている。
しかし、琵琶の殺されたことは、わが身に何のかかわりあることではない……とお銀様は冷然としてそこを歩み去って、左に折れました。韮崎《にらさき》から信濃境へ行く道とわかれて、有野から白根山脈の前面を圧するところ。
釜無川につづく竜王松原の中、一歩、足を踏み入れたと思うと、人の呻《うめ》く声を聞きました。
そこで、お銀様は再びギョッとして振返ったのはさいぜんの琵琶で、呻きの声はただいまのその琵琶から起ったのではないか?
それならば脈がある……あれほど無惨に殺された琵琶に、まだ一縷《いちる》の生命が残っていたか……地上に残された琵琶の形が助けを呼んでいる。
お銀様は怖ろしいと思いました。
しかし、琵琶がよし助けを求めたとてそれが何だ。自分にかかわったことではない――とお銀様は再び冷然として、また竜王松原の中へ足を踏み入れること一歩。
そこに、また人間の呻く声を聞
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