うとするが、仏頂寺はうけがわず、
「いかん。何とならば、この時の弁慶は、あくまで本物の山伏のつもりで勧進帳を読まなけりゃならん、それだのに、この弁慶は、弁慶ムキ出しで勧進帳を読んでいる、これじゃ富樫《とがし》というものが、全然ボンクラになってしまう……義経もこれじゃ助からない」
「まあ、芝居だから……」
「芝居とはいえ海老蔵ともあるべき者が、弁慶をやるに全くその心がけを忘れている、自分一人だけを見せる芝居をやるというのは、あるべからざることだ、弁慶だけが浮いて、ほかの人物はちっとも浮いて来ないじゃないか……その弁慶も、本当の弁慶じゃない、作り物の弁慶だ」
仏頂寺がこういって力《りき》み出した地声が、少し高過ぎたせいでしょう、
「叱《し》ッ」
という声が聞えると、
「なにッ」
と仏頂寺がムキになりました。それを丸山が袖をひかえて、
「まあ、芝居狂言だから……」
仏頂寺弥助も、やむなく沈黙しました。
その時分、舞台では海土蔵の弁慶がますます発揮し、富樫の施物《せもつ》を受取って、一同この関を通り抜けようとする。
「いかにそれなる強力《ごうりき》、とまれとこそ」
義経に似たという強力が呼びとめられたのを、弁慶が怒って、金剛杖を取って散々《さんざん》に打ちのめす――それまでは、どうやら無事。かくて関所を出ると、山伏を先へやって弁慶一人が悠々《ゆうゆう》と歩み出す。ここからが変だと思いました。
そこで、富樫が引込むと、「ついに泣かぬ弁慶も一期《いちご》の涙ぞ殊勝《しゅしょう》なる」から「判官《ほうがん》御手《おんて》を取り給い」の順序になるべきはずのところを、判官を初め、四天王残らずの山伏と、強力が、ずんずん舞台を引込んでしまい、あとは弁慶一人舞台。長唄もそれでおしまいになるらしいから、はてな、「ついに泣かぬ弁慶……」を食って、延年《えんねん》の舞へ飛ぶのか知らん……と道庵が戸惑いをしました。
ところが、たったいま引込んだ関守の組子が、得物《えもの》を携えて関屋の前後からバラバラと現われたかと見ると、弁慶の前後をとりかこんでしまったから、道庵が、またもあっと魂消《たまげ》ました。
道庵の魂消たのに頓着なしに、そこで関守の組子が弁慶の行手を遮《さえぎ》ると、いったん引込んだ富樫がまた出て来て、
「弁慶、待て!」
道庵が、いよいよ驚いているうちに、
「何がなんと」
またしても大乱闘が始まってしまいました。
組子は突棒《つくぼう》、刺叉《さすまた》、槍、長刀《なぎなた》を取って、弁慶に打ってかかるから、弁慶も金剛杖では間に合わず、ついに太刀《たち》の鞘《さや》を外《はず》して、縦横無尽にそれを斬り散らす騒ぎになったから、見物は喜びますけれど、道庵は身の毛をよだてました。
岩見重太郎で、あのくらい斬っているのだから、弁慶となって、こんなにまで斬らなくともよかろうに……関守の歩卒を斬って斬りまくり、あわや富樫に迫ろうとして、踏段へ足をかけて大見得《おおみえ》をきったのですから、道庵が驚き怖れたのも無理はありません。
あまりのことに道庵が、初めて救いを求めるような声で、
「弁慶様、大きいぞ、刀だけじゃ物たりねえ、七つ道具を担《かつ》ぎ出してウンと暴《あば》れろ!」
と叫びました。
その声の終るか終らないのに、ズカズカと舞台をめがけて飛び出した者があります。
これぞ別人ならぬ仏頂寺弥助。
二十七
仏頂寺弥助は、ズカズカと桟敷から舞台の上へ出かけて行って、呀《あっ》という間もなく弁慶の太刀《たち》を打ち落し、弁慶を引捕えて膝の下へ敷いてしまったから、驚いたのは舞台の上ばかりでなく、満場の客が呀《あっ》といって総立ちの形です。
舞台の上では敵味方にわかれていた富樫の部下を初め、拍子木叩きや、楽屋番の連中まで、一時は呆気《あっけ》に取られたが、矛《ほこ》を取り直して、この意外な狼藉者《ろうぜきもの》を取押えて、弁慶を救い出そうという途端、仏頂寺弥助が眼を怒らして、
「言って聞かせるから、静まれ!」
と大喝《だいかつ》しました。
その勢いの猛烈なところへ、同行の壮士二人と、丸山勇仙とが、続いて舞台の上へ飛び上り、
「静かにしろ、仏頂寺に言うだけのことを言わせろ」
と怒鳴りました。
その勢い、いかにも殺気満々たるものですから、誰もうかとは手出しができないでいるうちに、看客《かんきゃく》の中の気の弱いのは、先を争うて逃げようとする。しかし大多数は留まって、この意外な劇中劇の終局を見届けようと、犇《ひし》めいている。
弁慶を取って押えた仏頂寺は、看客の方に向い大音声《だいおんじょう》で、
「諸君騒ぐな、拙者は気違いでもない、頼まれて芝居を妨害に来たものでもない、況《いわ》んや諸君の楽しみに邪魔をするつもりで来たのでもないが、小癪《こしゃく》に障《さわ》ってたまらぬゆえに、この次第に及んだのだ。おのおの方、ここに取って押えた弁慶は贋物《にせもの》であるぞ」
といいました。
「贋物……それはきまってらあな」
と大勢の中から叫び返した兄《あに》いがあります。芝居の弁慶で贋物でないのは無い。本物の弁慶なら、そう容易《たやす》くは捉まるまい。芝居の弁慶を捉まえて、これは贋物だと宣言することほど、それは非常識な侍である。そこでいったん静まりかけた客や舞台が、また沸き出して、本物の弁慶を見たければ五条の橋へ行くがいいのなんのと、犇《ひし》めき合っているのを仏頂寺が、
「弁慶をやっているこの役者が贋物なのだ、市川海老蔵とあるのは偽りだ、海老蔵どころではない、蟹蔵《かにぞう》にも及ばない木《こ》ッ葉《ぱ》役者が、こうして吾々をごまかして歩くのだ。おのおの方、その番付の文字をよく御覧なさるがよい、その海老《えび》の老《び》という字は土《ど》という字だ、エビ蔵ではない。エド蔵だ。本物の市川海老蔵という役者は、市川総本家の大将で、芝居道の方では王様だ。こいつは擬物《まがいもの》のエド蔵。諸君、だまされてはいけない」
持って来た番付を押開いて、高く掲げて看客《かんきゃく》に警告したのは大いに利《き》き目があって、すべての看客がおのおの携帯の番付を照らし合わせて見ると、なるほど、老《び》と土《ど》の違いがある。老と土とは、つまりエビ蔵をエド蔵にする。なるほどと合点《がてん》したところへ畳みかけて仏頂寺が、
「おのおの方……芝居を見るにも、裏と表を透《すか》して見なければいかん、ただ、逆《のぼ》せ上ってわいわい見ていてはいけない。この弁慶が……この弁慶なる者が、一人で舞台の上をのさばり廻っているところのみを見て、弁慶というもののその時の心持を見ないような奴は、芝居を見ないがよろしい。さいぜんも見ていれば、富樫に咎《とが》められて、金剛杖で主人義経を打ち据える時の、あの打据え様《ざま》はどうだ。苟《いやし》くも弁慶ほどの者が、主《あるじ》たるものの身体《からだ》に鞭を当てねばならぬ心中の苦痛はいかばかり……外目《よそめ》には強く打つと見せて、腹の中は血の涙で煮え返る、その心の中は千万無量だ。それをこの弁慶は、ここにいる弁慶なるものは、ただもういい心持でブン擲《なぐ》って、俺はこれほど強いぞ、といわぬばかりの下司根性《げすこんじょう》、見てはいられぬ――市川宗家の名優ともあるべき者が、こんな、くだらない弁慶を見せられるか」
怒気紛々《どきふんぷん》として弥助が罵《ののし》りました。
この意外なる劇外劇で、場の内外は総立ちとなり、慌《あわ》てて逃げ惑うたものまでが、怖いもの見たさに立ちとどまって、事のなりゆきを注視しているの有様です。
そこで、後ろの方は何が何だかわからない。
無頼漢が飲代《のみしろ》を借りに来たのを役者が貸さなかったから、それで暴れ込んだのだという説もあります。
あまり人気があるから、他座の者がそねんで、壮士を向けたのだという者もあります。
なかには、あんないい役者をなんだって、あんなに苛《いじ》めるのだろう、憎らしい、と口惜《くや》しがる娘たちもあります。
ちょうど土間の中ほどに陣どって見物をしていた信州川中島の上月《こうづき》というのが、連れて来た十余人ばかりの百姓の驚き騒ぐのを鎮《しず》めて言うには、
「立たないで見ていろ、あの侍の言うことは聞ける、無理ばかりは言っていないのだから」
川中島の上月というのは、代々百姓をしているが、先祖は、福島正則《ふくしままさのり》が川中島へ配流《はいる》された時の一族だということで、今日は塩市をあての買物を兼ねて十余人の百姓をつれて――この百姓たち、いずれも正則以来の由緒《ゆいしょ》を以て誇っている――この一座を見物していましたのです。そこで上月はつづけて、
「あの侍のいうことが必ずしも乱暴ではないよ……わしも、江戸へ出て、時々芝居を覗《のぞ》いたが、こういう無法な勧進帳はやらない。第一海老蔵という役者は、いま江戸には名をつぐ者がないはず。贋物《にせもの》に違いない」
「へえ、贋物に違いありませんか、太《ふて》え奴ですね」
「あんなにするまでもなかろうが、癖になると悪いから、ちっとは懲《こ》らしめるもよかろう。名前というものは大切なものだ、それに勧進帳のような大芝居は、やはり相当の尊敬をもって扱い、宗家を立てるようにしておかないと、芝居道が乱れる。贋物は時々トッチメてやるのが芝居道の薬だ」
上月は落着いて、立とうともしないから、連れの百姓たちもその気になり、
「皆さん、前が高いよ、お坐りなさい」
この一団だけは坐ったままで、前の群集を払って、ゆっくりとこの劇外劇の余興を大詰まで見ていようとする。
その時、舞台の上なる仏頂寺弥助は、組敷かれた弁慶の兜巾《ときん》に手をかけて、
「団十郎とか、海老蔵とかいう名前は、芝居の方では太政大臣《だじょうだいじん》だ、その人を得ざれば、その位を明けておくのが、その道の者の礼儀ではないか。形式に囚《とら》われて、偶像を拝むように拝めというわけではない、貴様のような身の程知らずが、盲目《めくら》千人の世間をばかにしたつもりでいるのは、芝居道を害するのみならず、世間の礼儀と、秩序というものを紊《みだ》る憂《うれ》いがあるから、貴様たちのような木《こ》ッ葉《ぱ》を相手にするのは大人げないと知りながら、こうして折檻《せっかん》にあがったのだ、以後は慎め」
と言いながら仏頂寺は、弁慶の兜巾を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り取り、鈴懸《すずかけ》、衣、袴まで※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]り取ろうとする有様は、この弁慶の身体には危害を加えないが、身の皮を剥いで懲らしめるの手段と見えました。
他の二人の壮士は、それを擁護して、もしや仏頂寺のなすことに手出しをする者があらば、いちいち取りひしいでくれようと肩を怒らしている権幕の物凄《ものすご》さに、これは力ずくではいけないと思って、一座の頭取、狂言方、番頭の類《たぐい》の非戦闘員が総出で、仏頂寺の前に平身低頭して来ました。
何といって、謝罪《あやま》っているのだか聞えないが、彼等が百方謝罪をしているのを仏頂寺は耳にも入れず、メリメリと弁慶の衣裳剥ぎをやっている。
道庵先生が立ち上ったのはこの時であります。
今まで鳴りを鎮めて事の体《てい》を見ていた道庵先生が、ここは己《おの》れの出る幕だと思いました。ここいらでおれが出なければ、納まりがつくまいと思いました。
「友様……事を好むわけではねえが、見たところみんな口の利《き》きようを知らねえ人様ばっかりだ、ここでひとつ拙者が、時の氏神と出かけねえければ納まりがつくめえ。だが、こういう氏神はまかり間違えば頭の鉢を割られる。そこでお前……そのまかり間違った時は骨を拾ってくんなよ。どれ、水杯《みずさかずき》を一つやらかして……」
道庵は一杯グッと飲んでからに、袴《はかま》の塵を打払って、
「御免よ」
といって人立ちを分けて舞台の方へ進み出しましたから、米友もじっとしてはおられず、それにつ
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