《き》きそうな武家扮装《ぶけいでたち》の一座ですから、喧嘩を吹きかけようとする者もありません。そこで、止むなく一方ではまた人気取りの廻し者が、盛んに海老蔵推讃の吹聴を始めましたから、仏頂寺がいよいよ納まらず、
「いったい、今時の見物は何を見ているのだ。第一この番付からして笑わせる、海老蔵ほどの役者なら、下の方へ尋常に名前を並べて書いておいても、誰も見損じをするはずはない、またその方が奥床《おくゆか》しいのに、この通り、番付いっぱいに自分の名前を書き潰《つぶ》し、岩見重太郎でも、水戸黄門でも、下の方へ小さく記して得意げにしているところは、由緒《ゆいしょ》ある劇道の名家のなすべきところではなく、成上りの、緞帳役者《どんちょうやくしゃ》の振舞である――拙者のむかし見た海老蔵は、こんな薄っぺらなものじゃなかったよ――だから、これは何代目の海老蔵だと聞いているのだ」
丸山勇仙も最初から、様子が少し変だとは思いましたが、
「まあ、そこが芝居だよ」
どこまでも仏頂寺をなだめてかかると、その傍らから、
「タイセツ、ショサクジとは何だろう」
と尋ねたのは、同行の壮士の一人であります。
「なに?」
「タイセツ、ショサクジ」
連れの壮士は、丸山勇仙の眼の前へ番付を突き出して、一行の文字を指す。
それを勇仙が見て笑い出し、
「それはタイセツ、ショサクジと読むのではない、オオギリ、ショサゴトと読むのだ」
と教えました。
漢字にしてみれば「大切 所作事」――それが連れの壮士にはわからなかったらしい。そこで勇仙が訓《くん》で読むことを教えたが、壮士には呑込めたような、呑込めないような面持《おももち》。一方、宇治山田の米友は、これもうけ取れたような、うけ取れないような顔をして、頬杖《ほおづえ》をつきながら舞台の幕を見詰めている。
道庵先生は相変らず御機嫌よく、チビリチビリとやっている。
さて第三幕目。
いよいよ岩見重太郎の仇討。天の橋立千人斬り。
敵の広瀬、大川、成瀬の三人を助くる中村|式部少輔《しきぶしょうゆう》の家来二千五百人――それを向うに廻して岩見重太郎一人、鬼神の働きをする――ところへ重太郎を助けんがために、天下の豪傑、後藤又兵衛と塙《ばん》団右衛門とが乗込んで来る。
敵は二千五百人――こちらは重太郎を主として後藤、塙の助太刀《すけだち》、都合三人。
猛虎の群羊を駆《か》るが如き勢い。
天地|晦冥《かいめい》して雷電|轟《とどろ》き風雨|怒《いか》る。
岩は千断《ちぎ》れ書割《かきわり》は裂ける。
飾りつけの松の木はヘシ折れる。
岩見重太郎は当るを幸いに撫斬りをする。
最初の幕から、重太郎の太刀風に倒れた人の数を丹念に数えていた見物の一人が、あるところに至って算盤《そろばん》を投げてしまう。
それは最初の幕。箱崎八幡の松原の場では確かに二十八人を斬ったに相違ない。二幕目の宇都宮三浦屋裏手の斬合いは、暗くてよくわからなかったが、二十人は確かに斬っている。そのうち、お辻が懐剣で三人ばかりを仕留めているらしい。
だから、今までの幕で、重太郎の手に掛った者が、都合五十人ばかりになっている勘定だが、この場に至るともう算勘の及ぶところではない。
なにしろ、一方は二千五百人。それをこちらは三人で相手になるのだから、一人前平均八百人ずつはこなせるわけになる。しかし、たとえ二千五百人にしろ、三千人にしろ、芝居そのものの筋書には限定した数字が書いてあるのだから、まだ始末がいいが、舞台そのものの上に於ける人の数は無限であるから、算勘に乗らない。なぜならば、いったん、斬られて倒れた人間が、暗に紛れて這《は》い出してまた鬘《かつら》を冠《かぶ》り直し、太刀取りのべて、やあやあと向って来るからである。
死んだ人が、幾度でも生き返って立向って来るのだから、その数は無限である。
これでは、さしもの重太郎でも斬り尽せるはずがない。いかなる算盤でも量《はか》り切れるはずがない、と匙《さじ》を投げました。
なんぼなんでも、これは酷《ひど》い――と見返ったが、見物はそれどころではない、ただもう熱狂しきって、それ敵が後ろへ廻った、重太郎しっかりやれ、横の方に気をつけろ……と夢中になって声援している。塙《ばん》団右衛門が、松の大木を振り廻して大勢の中へ割って入ると、また素敵もない大喝采。
やや分別臭《ふんべつくさ》いのまでが、何しろ天下の豪傑だから、このくらいのことは無理もありますまい――と痩我慢《やせがまん》をする。
そうして遂に重太郎首尾よく敵の首を取って、太閤殿下のお賞《ほ》めにあずかるというところで幕。
幕は下りたが、人気の沸騰はなかなか下りない。
「エラいもんですな、昔の豪傑を眼の前へ持って来たようなもんです、役者もあれまでにやるには、剣道の極意に渉《わた》らなければやれませんなあ」
といってもて囃《はや》す。
仏頂寺弥助は、いよいよお冠《かんむり》を曲げて、
「ばかばかしくって、見ちゃあいられない」
連れがなければ立って帰るのだが、そうもゆかないらしい。丸山勇仙がまたそれをなだめて、
「まあ、芝居だから我慢するさ、その代り、今度はいよいよ市川宗家の勧進帳だ……これから渋いところを見せるのだから、ぜひ、まあ、もう一幕|辛抱《しんぼう》し給え」
といって引留める。自分たちが主人側で誘って見に来た芝居だから、仏頂寺も無下《むげ》に立帰るわけにもゆかないでいる。それに同行の二人の壮士は、ただもう御多分に漏れず嬉しがって見物しているのだから、それに対しても――
ともかく、右の三幕で岩見重太郎劇が終えて、これから宗家十八番の勧進帳が現われようとするところ。
仏頂寺弥助は不承不承に、また番付を取り上げて、役割のところなどを眺めていたが突然、
「丸山」
と呼びました。
「何だ」
「この番付を見ろ、ここに市川海老蔵と書いてあるこの文字の、海老《えび》の老《び》という文字が違っている」
ああ、ようやくそこに気がつき出した。
「どれどれ」
丸山勇仙が、その番付を取って、
「なるほど……」
「どうだ、これは老《び》という字にはなるまい」
「そうさなあ……」
「土[#「土」に傍点]という字だろう、土という字へ点をつけたり、ひっかけ[#「ひっかけ」に傍点]をつけたりして、ごまかしているのではないか」
「なるほど、そう言えば、そうも取れる。一見すれば老《ろう》と読みたいところだが、そう言われて見ると、土という字だ」
「芝居の法則では、老という字を土と書くのか?」
「そんなはずはあるまい、一点一画は時の宜《よろ》しきに従うとしても、本来、老という字は老であり、土という字は土でなければならん」
「してみれば、これはエビ蔵ではない、エド蔵だ」
「はてな……」
丸山勇仙が、そこで気を入れて、首をかしげました。
「丸山、こりゃ偽物《にせもの》だぞ」
「左様……」
「偽物に違いない」
「そう言われてみるとなあ」
「言われなくても、最初から、わかっていそうなものじゃないか、市川宗家の海老蔵ともあるべき身が、あんな無茶な芝居を打つと思うか」
「でも、地方に出ては、見物を見い見い、調子を下げるのかも知れない」
「以ての外……そうだとすれば、いよいよ以ての外だ、たとえ見物に目があろうが、なかろうが、芸を二三にするような奴は俳優の風上《かざかみ》には置けない、況《いわ》んや市川の宗家ともあるべき者に……丸山、こいつは偽物だ、われわれは一杯食わされたのだ」
仏頂寺弥助は勃然《ぼつねん》として怒り出したが、丸山勇仙はまだ半信半疑なのか、それとも、ここで仏頂寺をほんとうに怒らせては事になると考えたのか、
「待て待て、もう一幕見極めようではないか、今度の宗家十八番の勧進帳、これを見ていれば、それが格に合うか、合わないか、大概の素人目《しろうとめ》にもわかりそうなものじゃないか、もう一幕|辛抱《しんぼう》し給え……」
ところで、一方の道庵先生は悠然《ゆうぜん》として、
「さて、今度はいよいよ市川宗家十八番の勧進帳とおいでなすったね。そもそもこの勧進帳というは……御承知の通り、これはお能から来たものですよ。芝居の方では、天保十一年に河原崎座でやったのが初演でげす。その時は海老蔵の弁慶――この海老蔵様は、ここに来ている海土《えど》ちゃんとは違いますよ、七代目の団十郎様が海老蔵様に改まったんでげす。その海老蔵様が弁慶様で、八代目団十郎様の義経様、三代目九蔵様の富樫様《とがしさま》というところでした。見ました、拙者もそれを一幕見ましたよ……ええ、この海老蔵様は、何代目の海老蔵様だとおっしゃるんですか……それは、わっしどもにもわかりませんな」
番付を取って隣席の者に講釈をすると、隣席の客がなるほどと感心するので、
「これを謡《うたい》から取って芝居の方へ移そうとしたのは、無論その海老蔵様ですよ、その本物の……つまり七代目の団十郎様の海老蔵様から、この勧進帳という狂言が始まりました。ですから、海老蔵様の勧進帳ときた日には、芝居好きと不好《ぶす》きとにかかわらず、見逃してはならないものでげす……尤《もっと》も、ここに来ている海老蔵様は何代目だか、そこんところは拙《せつ》にもよくわかりませんよ」
道庵としてはまことに角《かど》のない、当り障《さわ》りのない、海老蔵にも、海土ちゃんにも、疵《きず》のつかないような挨拶をしました。
そのうちに幕があきました。
富樫の出も尋常であるし……旅の衣から、月の都を立ち出でて……の長唄も存在して、義経主従の衣裳も、山伏の姿になっている。いわゆる海老蔵の弁慶なるものも押し出している。海津《かいづ》の浦に着きにけり、でいっぱいに並ぶ。「いかに弁慶」から台詞《せりふ》の受渡し、「いざ通らんと旅衣、関のこなたへ立ちかかる」――弁慶を前にして本舞台へかかる。道庵も、こいつ、なかなかやるなと思いました。
仏頂寺も、これは多少見直したという形になって舞台を見る様子。丸山勇仙は、それ見たかといったような気分もある。
そこで富樫との問答になって、
「言語道断《ごんごどうだん》、かかる不運なるところへ来りて候《そうろう》ものかな、この上は力及ばず、いでいで最後の勤めをなさん」
あたりから調子が少し変になりました。唄が少々疲れてきたのと、四天王の祈りがばかに景気よくなって、無暗に珠数《じゅず》を押揉《おしも》む形が、珠数を揉むよりも、芋を揉むような形に見え出したのだから、道庵が訝《おか》しいと見ました。
けれども、今日はどうしたものか、道庵がヒドクおとなしく、万事胸の中に心得て、表へは少しも現わさず、半畳《はんじょう》を入れたり、弥次ったりするようなことは一切慎んで、それから弁慶の馬力がいよいよ強くなるのに、長唄がヘトヘトになって、それを追っかけ廻しているのもおかしいといって笑わず、かえって同情を寄せておりました。それでもようやく、
「ナニ、勧進帳を読めと仰せ候か」
まで漕ぎつけたから、役者よりも、長唄よりも、道庵がまずやれやれ安心と息をつき、この分なら尻尾《しっぽ》を出さずに済むかも知れない、ともかく、無事に勤めさせてやりたいものだとなお心配をつづけたが、案ずるより産むが易《やす》く、
「それつらつら、おもんみれば、大恩教主の秋の月は涅槃《ねはん》の雲に隠れ……」
勧進帳の読上げも凜々《りんりん》たる調子を張って、満場をシーンとさせました。
「一紙半銭の奉財のともがらは、この世にては無比の楽《らく》にほこり、当来にては数千蓮華《すせんれんげ》の上に坐せん、帰命稽首《きみょうけいしゅ》、敬《うやま》って白《まお》す」
淀《よど》みなく読み上げると、唄もすっかり元気を回復して、
「天も響けと読み上げたり……」
満場は深い感動の色を現わしたようです。
しかし、仏頂寺弥助はようやくうけがいません。すべてが感心の色を現わした時、仏頂寺は首を左右に振って、
「いかん」
と言いました。
観客が険しい眼をして見るのを、丸山勇仙が気兼ねをして、押えよ
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