しても、先生がいやにおとなしいと米友が見返りました。本来こういう盛り場へ来ると、いよいよ噪《はしゃ》ぎ出して手がつけられなくなる心配があるのに、この時はめっきりおとなしいものだから、米友がそこに気がついて見返ると、先生は、番付をタラリとして、いい心持で居眠りをしています。
なるほど、昨晩からのあの噪ぎ方では疲れるのも尤《もっと》もだ、幕があいたら起して上げよう、今のうちは静かに寝かしておいた方が先生のためでもあるし、第一、自分も世話が焼けなくていいと思いました。
そこで米友は、居眠りをさせるにしても、なるべく醜態を人様のお目にかけないようにして居眠りをさせるがよいと思い、番付も取って畳み、道庵の姿勢も少し直してやり、そうして自分は一心に幕の表を眺めて、拍子木の音を待っておりました。
幕あきを今や遅しと待ちかねているものは、米友一人ではありません。
その時分、第一の拍子木が一つ鳴ると、満場が急に緊張して、人気がまたざわざわと立ってきました。
ちょうど、その時です。かねて取らせておいたと見えて、土間を隔てて、米友とは向う前の桟敷に、四人連れの武家が案内されて来て、むんず[#「むんず」に傍点]と座を占めたのは――
だが、それは格別、誰の眼を惹《ひ》くということもありません。士分の者らしいのも二人や三人ではないから、それがために多きを加えず、少なきを憂えず。米友とても同じことで、自分の前の向き合った桟敷へ、四人連れの侍が来たなと気がついただけで、また幕の方へ眼を外《そ》らせてしまいました。
しかし、この四人連れの侍のうちの二人は、たしかに、仏頂寺弥助と丸山勇仙であります。あとの二人は確かに仏頂寺、丸山の友人で、風采《ふうさい》を見ればこれもひとかどの武芸者らしい。ただし、宇津木兵馬はおりません。兵馬がいれば、米友も見知っていたでしょう。
さて、いよいよ幕があきました。
これは一番目狂言の「岩見重太郎の仇討」の第一幕。
八月十五日の夜。筑前国|相良郡《さがらごおり》箱崎八幡祭礼の場。
賑《にぎや》かな祭礼の夜の場面。小早川家中の血気の侍が八人、鳥居の下の掛茶屋に腰をかけて話している。一人が急に、あれへ岩見重太郎が見えたという。
なるほど重太郎が来たと、一同が色めき立つ。その話によると、家中岩見重左衛門の次男重太郎が、山の中へ入って三年間、木の実を食って、このほど馬鹿になって出て来たという。なるほどボンヤリして歩いて来た。ひとつ調戯《からか》ってやろう、あんなのを調戯わなければ、調戯うのはないという。
そこで、八人の侍が諜《しめ》し合わせているとも知らず、花道から岩見重太郎が出て来る。重太郎が出ると見物が騒ぎ出して静まらない。海老蔵、海老蔵の声が雷のようだ。
いかにも重太郎、武士の風こそしているが、ボンヤリして馬鹿みたような顔をしながら歩いて来る。舞台の程よいところへ来ると、以前の若侍が出て調戯《からか》う。そうして結局酒を飲ませるといって附近の料理屋の二階へ連れ込む。
同じ幕の二場。
桝屋久兵衛という立派な料理屋の二階。八人の若侍が薄馬鹿の重太郎を囲んでしきりに嘲弄《ちょうろう》しながら、大杯で酒をすすめる。それを重太郎がひきうけて八杯まで呑む。そのうち、二人ばかり重太郎に組みついて来ると、重太郎がそれを取って投げる――つづいて組みついたり――打ってかかったりするのを、残らず二階から下へ投げ落してしまう――それから舞台が半廻しになって、重太郎は海岸の淋しい松原をブラブラ帰りながら、自分は三鬼山《みきざん》の奥に三年|籠《こも》り、一人の老翁のために剣法を授かったが、その老翁が喬木《きょうぼく》は風に嫉《ねた》まれるから、決してその術を現わさぬよう、平常《ふだん》は馬鹿を装っているがいいといわれたから、その通りにしている、親兄弟にも馬鹿になって来たと思われているが、身に降りかかる火の子は払わなければならぬ、無益な腕立てをして残念千万、というような独白《せりふ》がある。
そうして松原へかかると、人の気配《けはい》がするのでキッと踏み止まって八方に眼を配る。この時遅し、前後から白刃を抜きつれて斬ってかかる者がある。
重太郎、心得てヒラリと体《たい》をかわし、たちまち一人の白刃を奪って、他の一人を斬って捨てる。それをきっかけに、松原の中から抜きつれたのが無数に飛び出して、重太郎に斬ってかかる。
そこで大乱闘が始まる。
重太郎、前後左右にかわして、体を飛び違えては四角八面に斬り散らす。いずれもただの一刀で息の根を止めてしまうが、敵は多勢――
見物の喝采《かっさい》は沸くが如く、なかには鉢巻をして舞台へ躍《おど》り出そうとする者もある。
またやられた。あれで十八人目だと丹念に数えている者もある。
幕があいたので、いったん居眠りから呼び醒《さ》まされた道庵も、この物凄い景気に、すっかり眼を醒ましてしまうと、舞台は箱崎松原の大乱闘。
重太郎が十八人目を斬った時に、道庵が二度目の居眠りから眼を醒まして、一時は寝耳に火事のように驚きましたが、やがて度胸を据えて見物していると、最初から数えていた見物のいうところによれば、都合二十八人を斬って捨てた時に幕が下りました。
見物はホッとして息をつく。
道庵はしきりに嬉しがっている。
宇治山田の米友は、なんだか要領を得たような、得ないような顔をして、しきりに首を捻《ひね》っている。
幕がおりると共に見物はホッと息をついて、その息の下から海老蔵は偉い、海老蔵ほどの役者はないと、感嘆の声が盛んにわきおこります。
次の幕は、野州宇都宮の一刀流剣客高野弥兵衛の町道場。
花道から岩見重太郎が、武者修行の体《てい》で腕組みをしながら歩いて来る。そうして述懐のひとり言《ごと》。
自分は家中の者を二十八人も斬り捨てたために、浪人の身となって武者修行をして歩いている。自分としてはこうして武を磨くことが本望だが、国に残る父上や、兄上、また妹の身の上はどうだろう。近ごろ夢見が悪い、というようなことを言う。
いや、そう女々《めめ》しい考えを起してはならぬ。あれに立派な道場のようなものが見える。推参してみようと、道場へ近寄って武者窓を覗《のぞ》くと、門弟共が出て来て無礼|咎《とが》めをする。結局、貴殿武者修行とあらば、これへ参って一本つかえという。重太郎、多勢に引きずられるようにして道場に入り込み、それから入代り立代る門弟を、片っ端から打ち据える。堪りかねて道場主高野弥兵衛が出たのを、これも苦もなく打込んでしまう――弥兵衛は無念に堪えないながら、どうしても歯が立たないと見て、止むなく笑顔を作って重太郎を取持ち、一献《いっこん》差上げたいからといって案内する。
舞台廻ると、宇都宮の遊女屋三浦屋清兵衛の二階。
そこへ、弥兵衛が重太郎を連れ込んで盛んに待遇《もてな》す――そこで重太郎がパッタリと妹お辻にでっくわす。お辻はこの家に身を沈めて、若村という遊女になっていたのである。
あまりの意外な邂逅《かいこう》に二人は暫く口が利《き》けない。やがて弥兵衛一味が酔い伏してしまった時分に、重太郎はお辻を呼んで、身の上を聞く。
聞いてみれば、父の重左衛門は同じ家中の師範役、成瀬権蔵、大川八右衛門、広瀬軍蔵というものの嫉《ねた》みを受けて殺されてしまった。自分は兄の重蔵と共に仇討に発足したが、兄は中仙道の板橋で返り討ちになってしまい、自分はここへ身を沈めるようになったのだが、今、あなたと一緒に来た高野弥兵衛というのに附纏《つきまと》われ困っているが、あれはよくない男だというような物語がある。
重太郎、それを聞いて悲憤のあまり、今夜のうちに、お前を連れてここを逃げ、父兄の仇討に上ろうと約束をする。
舞台廻って三浦屋の裏手。松の木から塀越しに二人が忍び出す。それを待構えていた高野弥兵衛一派の者が斬ってかかる。
重太郎は刀、お辻は懐剣を抜いて悉《ことごと》くそれを斬り払ってしまう。そうして二人は手に手を取って暗に紛《まぎ》れて――幕。
この幕もまた、見物の残らずをして息をもつかせない緊張を与えたものですから、幕が下りると一同はホッと息をついて、それからまた反動的に、海老蔵は偉い、お辻はかわいそうだわね、ということになる。
一幕毎に、こうして海土[#「土」に傍点]蔵の人気が沸騰してゆくものだから、道庵までがついその気になり、
「なるほど、海土蔵様もエラい、海土蔵様もエラいには違いないが、この芝居が海土蔵様をエラがらせるように出来ている」
と言いました。つまり、どの幕もどの幕も、海土蔵が一人|儲《もう》けをやるように出来ているので、有象無象《うぞうむぞう》をいいかげん増長させておいて、ここぞというところで撫斬《なでぎ》りにしてしまうのだから、見物は無性《むしょう》に喜ぶ。なにも海土ちゃんに限ったことはない、こういう仕組みにしておけば、どんな役者でもエラくなると思ったのでしょう。
米友に至っては、相変らず要領を得たような、得ないような、酸《すっ》ぱいような、辛《から》いような、妙な顔をして考え込んでいる体《てい》。
対岸の四人連れの一席を見ると、今しも仏頂寺弥助が、あわただしく番付を取り上げて、そうして眉の間に穏かならぬ色を漂わせながら、幾度もその番付を見直しているところです。
二十六
仏頂寺弥助は番付を取り上げて、
「どうも、おれは感心しない」
と丸山勇仙の顔を見ました。
「うーむ」
と勇仙も含み声。
同行の二人の剣客は、至極満足の体《てい》で納まっているらしい。
仏頂寺は何か納まらないものがあるように、
「丸山」
と再びその名を呼びかけて、
「今の海老蔵は、ありゃ何代目だ」
「左様」
丸山勇仙もそれに確答は与えられないらしい。
「海老蔵が団十郎を襲《つ》ぐのか、それとも団十郎が海老蔵になるのか」
「そうさな」
丸山勇仙は、それにも明答は与えられないらしい。
「第一、あの岩見の剣法なるものが、テンで物になっちゃいないじゃないか」
「そこは芝居だよ」
「芝居とはいいながら、海老蔵ほどの役者になれば、もう少し気がつきそうなものじゃ。箱崎の松原でバタバタと二十何人も斬って、いい心持で見得《みえ》を切ったあの気障《きざ》さ加減はどうだ。それに今のあの宇都宮の道場とやら、一刀流と看板が掛けてあったが、岩見の時代にまだ一刀流はない。あの道具、竹刀《しない》、あんなものもまだあの時代には出来はしない。その上、出る奴も、出る奴も、最初から、みんな岩見に擲《なぐ》られに出るので、かりにも岩見と張合ってみようという意気組みのものは一人も見えない、岩見はあいつらを擲るように、あいつらは岩見に擲られるように仕組んであるのが見え透《す》いて、ばかばかしくってたまらない」
「そこが芝居だよ」
「芝居とはいいながら、岩見重太郎をやる以上は、岩見重太郎らしいものを出さなけりゃなるまい、あれでは、海老蔵はこのくらいエラいぞということを丸出しで、岩見という豪傑は、テンデ出ていない」
「そう理窟をいうな、そこが芝居だよ」
「芝居とはいいながら、名優というものは、すべての役の中に自分というものを打込んで、それに同化してしまわなければ、至芸というものが出来るものではない、たとえば団十郎の由良之助《ゆらのすけ》に、由良之助が見えず、団十郎が少しでも出て来た以上は、団十郎の恥だ。しかるにこの芝居は海老蔵だけが浮き上って、重太郎は出て来ない、この海老蔵は人気取りの場当り役者で、決して名優の部類ではないぞ」
仏頂寺弥助がこういうと、四辺《あたり》の桟敷の人が聞き咎《とが》めました。この連中はすべて海土[#「土」に傍点]蔵に随喜渇仰している連中で、息をもつかないで海老蔵を讃美している。その傍でこういって、つけつけと自己崇拝の名優を貶《けな》しつける者があるのだから、自分の本尊様の悪口でもいわれたように、非常に腹を立てて、不興な眼をして、仏頂寺の方を睨まえましたけれど、なにしろ腕っ節の利
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