庵だとは思われませんから、やはり、変な親爺が、世話を焼いているなぐらいの程度で、この景気の見送りをして、またも障子を閉《とざ》してしまいました。
 一方、宇治山田の米友は、浅間の町の迷児の道しるべの辻に立って、しきりに地団駄《じだんだ》を踏んだり、嘆息をしたりしている。
 ああしたような事情で善光寺を立ち出で、善光寺から稲荷山《いなりやま》へ二里、稲荷山から麻績《おみ》へ三里、麻績から青柳へ一里十町、青柳から会田《あいだ》へ三里、会田から刈谷原《かりやはら》へ一里十町、刈谷原から岡田へ一里二十八町、岡田から松本まで一里十八町を通って、松本の城下へ入り込んで見ると、前いうような景気でしたから、道庵がまたはしゃぎ出し、浅間の湯というのへ泊ることだけは打合せておいたが、とうとう途中で飛ばしてしまいました。
 止むことを得ず、米友は約束の浅間の地に着いて、町並に怒鳴り歩いてみたが手答えがなく、そこで、今は株を守って兎を待つよりほかの手段はなくなりました。
 町の辻の迷児の道しるべのあるところに、悄然《しょうぜん》と立った宇治山田の米友。
 人の気も知らないで、賑やかしい花車屋台《だしやたい》の行列は早くも米友の前まで押寄せて来ました。そこで迷児の道しるべの前に立っていた米友が、後ろへ隠れて人波を避ける。幸いにして米友は柄が小さいから、道しるべの蔭へ隠れた日には、少しも人波の邪魔になるということがありません。人波の方でもまた、米友と、道しるべとを捲き残して、大水のように過ぎ去ってしまえば何のことはないのだが、ここぞ、この町並ではほぼ目貫《めぬき》のところでしたから、そこで行列も御輿《みこし》を据えて、器量いっぱいのところを見せなければなりません。
 米友にとってはこれが迷惑です。早くこの人波が流れ去ってしまうことを希望していたのに、流れ来った水がここで湖となってしまい、自分と、道しるべとは島にされたならまだいいが、湖底に埋没されたような形になって、群衆は米友の頭の上でしきりに踊り騒いでいる。
 ぜひなく米友は、道しるべの蔭にいよいよ蹲《うずくま》って、ともかく、この人波の停滞が崩れ去るのを待って、おもむろに身の振り方をつけようと覚悟しました。
 こうして人波に埋没されている米友にとっては、何の面白くもないお祭り騒ぎ――だが人の面白がるものにケチをつけるにも及ばねえが、いいかげんにしてもれえてえものだな――と思って辛抱している。ところが、誰あって、米友が道しるべの下で、こんな犠牲的な辛抱をしていると気のつく者はなく、ただもう器量いっぱいに踊り騒いでいる。
 そのうち、むっくりと宇治山田の米友が跳ね起きたのは、その癇癪《かんしゃく》が破裂したのではありません、当然聞くべき人の声をその中で聞いたから、いきなり飛び上って道しるべの上へ突立って見ると、この時、道庵先生が屋台の上へかじりついて、
「さあ退《ど》いた、若い衆、いよいよこの親爺《おやじ》に一つ踊らしてくんな、この親爺の踊りっぷりを一つ見てくんな」
 若い者のすることが見ていられなくなったと見えて、道庵先生はダンジリに飛びあがって、自ら馬鹿面踊《ばかめんおど》りの模範を示そうというところでありましたから、米友が、じっとしてはいられません。
 道しるべの上から飛び立って、人の頭の上を走り通り、今しもダンジリに縋《すが》りついた道庵の袖を引っぱり、
「先生、いいかげんなことにしな」
と言って米友が、その手首をグングン引出した時に道庵が、
「友様か……済まねえ」
と叫びました。
 済むも済まないもありはしない。一刻も捨てておいた日には危なくてたまらないから、米友は有無《うむ》をいわせず道庵を引き立てて、また人の頭の上を飛んで走り戻りました。人の頭の上を、無闇に走り通ることの無作法ぐらいは米友も知ってはいるが、この際は、それを遠慮していられないほど急場の場合でありますからぜひがない。
 遮二無二《しゃにむに》、自分は人の頭の上を飛び、道庵の身体をも人の頭なりに引きずって、米友は露地の暗い人通りの少ないところへ引きずり込んでしまいました。
 それは米友流の極めて速かな早業《はやわざ》を以て、一瞬の間に行われてしまったものですから、頭の上を通られた連中までが、
「あっ!」
と言ったきり、手出しのできないほどの早業でありました。不思議な音頭取りを不意にさらわれても、それを追いかける手段を忘れしめたほどの早業でありました。
 道庵においても、遮二無二その腕を引張られても、人の頭の上を引きずり廻されても、痛いとも、痒《かゆ》いとも、言う暇のないほどの早業でありました。
 その早業が完全に行われて、人の頭の上から――露地の人通りの少ない所から、ついに行方《ゆくえ》も知らず引張り込まれた後に至って、群衆が騒《ざわ》めき立ちました。
「ひとさらい……」
 だが、もう遅い。
 ついにその近きあたりのどこを探しても、それらしい人の影を見出すことができませんものでしたから、一時、お祭りは中止の姿で、その奇怪のひとさらいの噂《うわさ》で持切りであります。
 たしかに小さいながら人間の形をしたものがこの道標《みちしるべ》の下から飛び出して、俺の頭の上を走ったには走ったが、その姿を見ることはできなかった、しかしその足は温かい足で、長い爪があったという者がある――いや、なんだか、俺の頭の上を通ったのは泥草鞋《どろわらじ》のようだったという者もある。それが、いきなり老人に飛びつくと、老人が「済まねえ」と謝罪《あやま》ったという者もあれば、謝罪ったのは飛び出して来た小者《こもの》だという者もある。
 しかし、幸いなことは、どちらがさらったにしても、さらわれたにしても、それは少しも土地ッ子の怪我《けが》ではないということで、誰に聞いてみても、あの頼まれもしない世話焼の親爺の何者であるかを知った者はなく、またこの道標あたりから飛び出したものの何者だか見極めた者もなく――どちらにしても氏子には、誰ひとり間違いが無かったということを喜び、結局、今のは天狗様だろうということに衆議が一決しました。
 つまり、辛犬《からいぬ》の山に棲《す》む天狗が、今夜の祭りの興に乗じて里へ出て見たが、面白さに堪らなくなって、つい人間と共に踊り、人間と共に楽しむ気になってしまったのだ、天狗が遊びに出たのだ、それも人を迷わしに来たのではない、人間と共に楽しみに来たのだから、それは怖いことではなく、賀すべきことである、いよいよこのお祭礼《まつり》の景気と瑞祥《ずいしょう》を示す所以《ゆえん》であると解釈がついてみると、右の老人のただ者でないという証拠が、あちらからもこちらからも提出されて、天狗から直々《じきじき》の指南を受けた人たちの持て方が大したものであります。
 天狗も来《きた》り遊ぶということで、この夜の景気がまた盛り返してきたのは、時にとっての仕合せでした。

         二十四

 しかし、天狗の評判があまり高くなったものだから、道庵主従も浅間の湯に泊ることには気がさして、松本の城下を指して宿を替えることにしました。
 城下は相変らずの景気でありますが、そのうちにも道庵をして絶えず大笑いに笑い続けさせたのは、例の「市川海土蔵」の辻ビラと、提灯《ちょうちん》が、至るところにブラ下げてあることです。それを大概の者が「海老蔵」と受取って、もてはやしていることであります。
「まあ、いいや、今夜は夜っぴて景気を見て歩こうじゃねえか、川中島の月見と違って、お祭りを見るのは寒くねえ」
と、道庵が言いました。
 そのうちに「夕日屋」という大きな店の前へ来ると、道庵がまた大きな声をしてカラカラと笑い、米友を驚かせました。
「この店もしかるべき大家のようだが、こう人真似《ひとまね》をするようになっちゃあ、身上《しんしょう》が左前になったのかな……番頭にいいのがいねえんだな」
と言いました。
 その夕日屋の大きな店は酒屋でしたが、この家で造り出す酒の名前を見ると、その頃の銘酒の名前を幾つも取って、それを自家醸造の如く拵《こしら》え、それにガラクタ文士を買い込んでしきりに能書を書かせている。
 人の評判を聞いてみると、この店では、いい酒を盗んで来ては、恥知らずの雇人共に金をあてがって、それに水を交ぜて売り出しているのだという。
 ともかくも夕日屋といえば、町内でも一流の老舗《しにせ》であるのが、こういう卑劣な商売の仕方をするようになったのは、つまり番頭に人物がいないからだ。
 良酒を取って来て、それに水を交ぜてごまかして売り出そうなぞは、三流四流の商店でも潔《いさぎよ》しとはしないのに、夕日屋ともいわれる大店《おおだな》がそれをやり出すに至っては、その窮し方の烈しさに腹も立たないで、涙がこぼれる――と噂をするものもある。
 ともかく、道庵先生は有名な飲み手だから、まあ人間の口で飲める酒はたいてい飲んでいるし、その味もよく知っているのだから、ここへ並べた詐欺物《いかさまもの》の酒の看板を見ると、ゲラゲラと笑い出し、
「箆棒様《べらぼうさま》、よい酒が飲みたけりゃあ、よい酒を作って競争するがいいじゃねえか、よい酒を作るだけの頭もなく、作らせるだけの腕もなく、しょうことなしに、どぶの水を持って来て引掻《ひっか》き廻させようなんぞは、吝《しみ》ったれでお話にならねえ」
と言いました。
 事実、道庵は好んで人の悪口をいい、また好んで当擦《あてこす》りをするわけでもなんでもないが、一流の店ともあろうものが、こういう悪酒を作って売り出させようとする手段を卑しむのは、少しも無理がない。ところがそれを聞いた店の者共は、しゃあしゃあとして、
「いい酒であろうと、悪い酒であろうと、大きにお世話だ、空気中へ抛《ほう》り出しておきながら、聞いて悪いの、見て悪いのという理窟はあるめえ」
といいました。
 その理窟は、ラジオでもなんでも、盗み聞いて差閊《さしつか》えない――といって奨励するような口ぶりでありましたから、道庵も呆《あき》れ返りました。
 本来、道庵先生も決して競争を非とはしない。むしろ大いに好んで競争をやりたがる。さればこそ鰡八大尽《ぼらはちだいじん》の如きをさえ向うに廻して大いに争ったが、その争いたるや君子――でないまでも卑劣な争い方は決してしていない。全力を尽して堂々――と、時としては全力を尽し過ぎて滑ったりするが、そこには自分の自信を裏切るようなことは決してしていないのだから、今この一流の夕日屋ともあろうものが、良き酒に水を交ぜてごまかして売るというようなやり方を見て、せせら笑いました。
 それから暫く行って道庵は、また素敵《すてき》なものを見出して喜んでしまいました。
 見れば火を入れた大行燈《おおあんどん》を横に高く、思いきって大きな文字で、
[#ここから1字下げ]
「市川海土蔵」
[#ここで字下げ終わり]
と掲げ、その下に見えるか見えないかの小さな文字で、外題《げだい》が、
[#ここから1字下げ]
「一番目 岩見重太郎の仇討
 中幕 勧進帳
 三番目 水戸黄門
 大切 所作事」
[#ここで字下げ終わり]
と書いてあり、なおその下に小さく月形半十郎だとか、牧野昌三郎、坂東妻公だとか、お茶っ葉の名前を申しわけのように並べ、その大行燈を横町の入口高く掲げてあるのを見たから、道庵がヒドク喜んでしまったのです。
「有難《ありがて》え、勧進帳を旅先で見られるなんぞは、開け行く世の有難さとでもいうんだろう、江戸ッ児も江戸ッ児、市川宗家エド蔵[#「エド蔵」に傍点]の勧進帳、こいつを見のがした日には江戸ッ児の名折れになる」
と道庵が熱心に力瘤《ちからこぶ》を入れて、
「友様、明日を楽しみに待ってくんな、明日こそお前にも芝居らしい芝居というものを見せてやる」
 今や、この芝居もハネた時間と覚しく、見たところ小屋の前の混雑は名状すべくもありません。
 この景気を以て見れば確かに芝居は大当り、そうして出て来る人の口々の噂《うわさ》を聞くと、
「海老蔵《えびぞう》はいいわね、なんて
前へ 次へ
全36ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング