も、いっこう興味を催さないで、近頃のお客に、これこれの客を見なかったかと訊《たず》ねる眼目には、この小娘の手答えが甚だ浅く、いつか知ら役者へ話を引戻してしまう。
 おかしいのは千両役者を見たことがないという口の下から、海老蔵を褒《ほ》めること、褒めること。按摩に来たのではない、役者の提灯持《ちょうちんもち》に来たようなもので、小うるさくてたまらないから、兵馬は追い返してしまいました。
 まあそれ、小娘ばかりを笑ったものではないぞ。
 今の政治家がみんな人気商売の役者と違ったところはない――と京都にいる時、ある志士の慷慨《こうがい》を兵馬は聞いたことがある。
 経綸《けいりん》を一代に行うの抱負が無く、もとより天下を味方にするの徳もなく、また天下を敵とするの勇もない。さりとて巌穴《がんけつ》の間《かん》に清節を保つの高風もない。
 上は公卿《くげ》の御機嫌を伺い、外は外国の鼻息を恐れ、内は輿論《よろん》というもののお気に障《さわ》らないように、そうしてお気に向くような狂言を差換えて御覧に入れようとする。
 このくらいなら寧《むし》ろ蛮勇の井伊掃部頭《いいかもんのかみ》が慕わしい。天下の政治を人気商売として優倡《ゆうしょう》の徒に委するに似たり、と勤王系の志士が冷罵したのを兵馬は覚えている。
 それは天下国家のこと。兵馬の現在は、当分、この地を拠点にとって敵の行方《ゆくえ》を探すのだが、差当っては今に始めぬ滞在の費用問題。不思議なのは仏頂寺と、丸山。金銭の余裕があるべくもない者の身で、ちょいちょい耽溺《たんでき》を試みたり、兵馬の旅費までも綺麗《きれい》に立替えたりしてくれる。これらの輩《やから》はあいみたがい、好意を表したとて有難がらず、受けたとて罰《ばち》も当らない人間と思うから、そのままにしていたが、いつまでそのままにしてもおられまい。
 その辺を思案しながら兵馬は、床の間から刀と脇差を取寄せて拭いをかけて眺め入る。兵馬の刀は国助、脇差には包保《かねやす》の銘がある。これは相生町にいた時分、手に入れたもの。
 ここは松本平で名だたる歓楽の地。今日は城下の本町が大賑わいだから、その反動で、幾分しめやかではあるが、かえって底に物有りそうな宵の色。
 笛や太鼓の響きも聞えれば、音締《ねじめ》も響いて来るし、どうかすると、よいよいと合唱の唄が揚る。それを聞いていると、やはり、塩市の誉れを歌い、謙信の徳を称《たた》えるものであるらしいが、歌詞はさっぱりわからない。

 時々起るその合唱をほかにしては、森《しん》としたもので、空気全体がどこの温泉場も同じように、温かでしっとりしている。その時また、だしぬけに、
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天文《てんぶん》二十三年秋八月
越後国春日山の城主
上杉入道謙信は
八千余騎を引率して
川中島に出陣あり
そのとき謙信申さるるやう
加賀越前は父の仇《かたき》
これをほふりてその後に
旗を都に押立てて
覇《は》を中原に唱へんこと
かねての覚悟なりしかど
かの村上が余儀なき恃《たの》み
武士の面目もだし兼ね……
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 悲調を帯びたりんりんたる節が聞えたかと思うと、ぴったり止む。
 あれは何だ。詩ではない。浄瑠璃《じょうるり》でもない。相生町の屋敷でよく聞いた琵琶の歌に似て、悲壮にして、なお哀哀たる余韻《よいん》の残るものがある。
 その歌の一節が急遽《きゅうきょ》にして起り、急遽にして止む。
 拭い終った刀を鞘《さや》に納めると、外の通りが騒がしい。
「何だ、何だ、どうしたんだエ、火事でも起ったのかエ」
「火事じゃない、迷子《まいご》だ」
「迷子か」
 今までのは忽《たちま》ちにして起り、忽ちにして消えても、それは音律に協《かな》った音調。今度のは市人が路傍でガヤガヤと騒ぎ出したのです。
「迷子かい」
「迷子ですとさ」
 家並《いえなみ》の人が戸を押しあけて、通りへ飛び出して罵《ののし》る。その中で、
「ちぇッ、おいらの先生が、またいなくなったんだ」
 小焦《こじれ》ったく啖呵《たんか》を切ったその声に、兵馬はどうやら覚えがあります。

         二十三

 その騒ぎがけたたましいのに、その声になんとなく覚えがあるから、兵馬は今しも鞘に納めた脇差を片手に持って、鷹の湯の二階の障子を押し開くと、下の通りは、いまいった通りの戸毎に人が出て、迷子だ、火事だ、と騒いでいる中を走る一人の小者《こもの》、
「おいらの先生がまたいなくなっちゃった――先生、そこいらに泊っていたら言葉をかけておくんなさいな」
 笠を冠《かぶ》っているのを上から見下ろすのだから、さっぱりわからないが、どうもなんだか聞いたような声だと兵馬が思います。
 つまり、件《くだん》の小者が勢いこんで、器量いっぱいの声で、はぐれた連れの者を呼びながら駈けて来たその声に驚かされて、家々の者が出て見たのでしょう。
 ところが、驚かされて出て見た人も、ただそれだけのもので、存外小さな事件と見たから、張合い抜けがしたような思いで、そのあとを見送ってポカンとしているくらいだから、兵馬もそのまま障子を締め、刀と脇差とを以前のところへおいて、さて、これから寝てしまおうと思いました。仏頂寺、丸山は待って待ち甲斐のある輩《やから》ではなし――
 この場はこれで納まったが、納まらないのは、それから行く先々の温泉場の町並。
 例の笠を冠《かぶ》った小者《こもの》が、先生はどこへ行った、先生がまたいなくなった、と喚《わめ》き立てながら駈け廻っているから、だれも、かも、驚かされて出て見ない者はない。何かこの温泉場を根柢からひっくり返す事件でも持上ったかのように飛び出して見ると、件《くだん》の小者。
 それは、子供だろうと思われるほど背が低く、頭には竹の笠を冠って、首には荷物をかけ、手には杖《つえ》をついたのが、跛《びっこ》の足を引きずって、多分、眼中は血走って、そうして、かなりしめやかな歓楽の温泉の町を、ひとりで、騒がせながら飛んで行くのです。
「おい、兄さん、どうしたんだい。何だい、その騒ぎは」
 逗留《とうりゅう》の客で、世話好きなのが差出て聞くと、
「おいらの先生が、またいなくなっちゃったんだよ」
「なに、お前さんの先生がいなくなっちゃったんだって?」
「そうだよ……ちぇッ」
と舌を打って地団駄《じだんだ》を踏んだ人は浅間の人士はまだ知るまいが、これぞ宇治山田の米友であります。
「つまり、お前さんが連れにはぐれたというわけなんだね」
「そうだよ、それも一度や二度じゃねえんだからな、ちぇッ」
 米友が二度舌打ちをして地団駄を踏みました。
 これは、米友が二度舌打ちをして地団駄を踏むのも無理のないことで、またしても、道庵先生が米友を出し抜いて、どこかへ沈没してしまったものと見えます――全く、一度や二度のことではないから、米友としては世話が焼ける。察するところ、善光寺からあんなわけで、松本へ入り込んだ道庵は、今晩は浅間の温泉泊りということを米友にも申し含めておきながら、こんな始末になってしまったものと見える。もとより、こうして家並を怒鳴って歩けば、道庵がこの温泉場に泊っている限り、聞きつけて飛び出すには飛び出すだろうが、道庵ひとりを探すために、温泉場の全体を騒がすのは考えものです。
「兄さん、人を探すんなら探すように、帳場へでも頼んで……いったい、お前のお連れというのは何という宿屋に泊っているんだか、それをいってみな」
 世話好きに訊ねられて、米友が、
「何という宿屋に泊っているんだか、それがわかるくらいなら、こうして怒鳴って歩きゃしねえよ」
「なるほど……それじゃ、お前さんのお連れは何商売で、年は幾つぐらいで、人品は……?」
「商売はお医者さんで、年はもうかなりのお爺さんで、人品は武者修行だ」
と米友がたてつづけに答えました。
 いったい、これはどうしたのだ。尋ねている方が迷子だか、尋ねられているのが迷子だか、わからなくなりました。
 そこへ、またも全浅間の湯を沸かすような賑《にぎ》わいが持込まれたのは、塩市を出た屋台と手古舞《てこまい》の一隊が、今しもこの浅間の湯へ繰込んだということで、遥かに囃子《はやし》の音が聞える、木遣《きやり》の節が聞える。
 そこで、米友をとりまいていた連中も、米友を振捨てて走り出したから、全然|閑却《かんきゃく》されてしまった米友。
 果して、今しも城下から練込んだ養老のダンジリ。
 それを若い衆がエンヤラヤと引いて、手古舞、金棒曳きが先を払う。見物が潮のように溢《あふ》れ出す。
 そこで、誰も米友を相手にする者のなくなったのもぜひないこと。
 ダンジリは上方式、手古舞と金棒曳きは江戸前、若い衆は揃い、見物と弥次とは思い思い。
 屋台の上の囃子は鍔江流《つばえりゅう》。
 この練込みの世話焼に、一種異様な人物が飛び廻っている――
「さあ、しっかりやってくんな、何でもお祭りというやつは江戸前で行かなくちゃあいけねえ、女房でも、子供でも、叩き売ってやる意気組みでなけりゃ、江戸前のお祭りは見せられねえ、ケチケチするない箆棒様《べらぼうさま》」
といって屋台の下から、手古舞のところまで一足飛びにかけて来て、
「そこの芸者、いけねえよ、その刷毛先《はけさき》をパラッと……こういう塩梅式《あんべいしき》に、鬼門をよけてパラッと散らして……そうだ、そう行って山王《さんのう》のお猿様が……と来なくっちゃ江戸前でねえ。おい、こっちの芸者、それじゃお前、肌のぬぎ方がいけねえやな、こうだ、同じことでもこういう塩梅式に肩をすべらせると見た目が生きてらあな、それそれ。ちぇッ、そっちの姉さん、お前、花笠をそう背負っちゃあいけねえよ、成田山のお札じゃあるめえし、ここんところをこう七ツ下りに落してみねえな、見た目が粋《いき》だあな。おいおい、そっちの金棒さん、もう少しずしんと、和《やわ》らか味のある音を出してくんな……さあ、提灯《ちょうちん》を、も少し上げたり、上げたり」
といって、また一目散《いちもくさん》に屋台のところまでかけ戻って、
「しっかりやってくんな……冗談《じょうだん》じゃねえよ、大胴《おおどう》がいけねえ、大胴、もう少し腹を据えてやりねえ。笛、笛、もう少し高く……ひょっとこ、ひょっとこ、思いきって手強く……」
 御当人も片肌をぬいでしまって、有合わせた提灯を高く高く振り廻して、屋台の上の踊り方にまで指図する。
 変な親爺《おやじ》が出て来やがった、町内ではあんまり見かけない風俗の親爺だが、かなり気むずかしい親爺らしい。気むずかしいだけに祭礼の故実も心得ているらしい。あんなのには逆らわずに世話を焼かしておく方がいいとでも思ったのでしょう。いくぶん尊敬の意味でいうことを聞いているらしいから、この親爺、いよいよつけ上り、
「さあ、若い衆、拙者が音頭《おんど》を取るから、それについて景気のいいところを一つ……オーイ、ヤレーヨ、エーンヨンヤレテコセー、コレハセー、イヤホーウイヤネー」
「ヤーイ」
 若い衆はわけもなくこの音頭に合わせてひっぱると、親爺、御機嫌斜めならず、
「ホラ、もう一つ、エーヤラエ、ヨイサヨイヤナ、アレハエンエン、アレハエンエン」
「ヨーイ、ヨーイヨーイ」
 この親爺《おやじ》一人でお祭りを背負って立つような意気組み。これぞ、以前の小者《こもの》が尋ね惑うているところの先生であります。
 またしても、あまりの賑《にぎ》やかさに、宇津木兵馬は再び二階の障子をあけて見おろしますと、この通りの景気です。
 その中を、右に左に泳ぎ渡って指図をして歩く変な親爺がある――兵馬は本来、道庵先生とは熟知の間柄で、ずいぶん今まで先生の世話にもなったことがあるのだから、そう見違えるはずはないのだが、いかに道庵先生だからとて、信州の松本までお祭の世話焼に来ていようとは思わず、第一、その頭が違っている。クワイ頭の専売物でなく、惣髪《そうはつ》にして二つに撫でつけた塚原卜伝《つかはらぼくでん》の出来損ないのような親爺が、まさか長者町の道
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